003 男女・夫婦関係の諸問題の最近のブログ記事

 以前に取り上げました「学校教育と男女交際」についての、新たな展開がありましたので、少し考えてみたいと思います。
 女生徒の過剰な妄想はどこから来たのか?ということの一端が、図らずも明らかになったようです。
 石川ひとみのLPの歌詞を整理していて、三浦徳子の歌詞に引きつけられました。
 わたし的にものすごくリアリティーを感じる表現となっており、エスプリの効いた詩です。

 「雨に誘われて」というメタファーですが、一歩踏み出すという感覚でしょうか。
 清水の舞台から飛び降りるというほどのことではなく、一歩踏み出して、雨に打たれる。

 雨とは、文字通り「濡れ場」の意象を持ち、穢れるというほどのことはなくただ濡れるだけ。
 この言葉で、少女セシルが少女ではなく大人の女に変わるシーン的な切り替えを表象しています。

 その歌詞とは、...

愛されることの衝撃

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 叱られることと愛されることは、人の心を育てていく上で重要な事件ですね。以前に叱られることについて触れましたが、その続きを中断したままになっていますので、取り上げておきます。
 初めに親の育て方についてひと言申し上げておきたいのですが、決してよい子に育てようと思うな、と言いたいのです。

 前回の話を素材に、すすめて参ります。

 男女のコミュニケーションの限界を解説する前に、そもそもコミュニケーションというのは擬似的理解でかろうじて成り立っているに過ぎない、ということです。
 擬似的という表現が曖昧かも知れませんが、はっきり言えば「誤解」です。

 今回はコミュニケーション能力とその限界について、自分の体験から発展させてみたいと思います。

 前回、本当は泰葉さんの記事を書こうと思っていたのですが、いろいろ火種が残っているようですので、芸能ネタになるのを避けるために取りやめにしました。
 他者の話を材料にすると、どうしても背後の状況が分からずに憶測になってしまいますので、詳細に論じることはできません。それで、時効となった古い過去の経験を素材にしました。

 アメリカ版「戦争と平和」がオードリー・ヘップバーン映画であったように、『エデンの東』はジェームス・ディーン映画になっていますが、一番輝いているのは二人の兄弟を愛したアブラではないだろうか。

『手紙』をYouTubeで探していて、ふと石川ひとみさんの名前を見つけてしまいました。
 彼女の隠れファンがたくさんいることを知り、ついつい

 『まちぶせ』を10回も聴いてしまい、そのほかの映像も見ていて、深夜の2時過ぎになってしまいました。そこで、急遽女性の歌詞版を書いたのですが...
 さすがに、この人は分かっているなと思います。

 由紀さおり『手紙』 (作詞・なかにし礼)

 男の作詞家が女性歌手の歌詞を作る場合、自分の理想とする女性を描くのだと思います。

 ですから、そんな歌詞を女性が深く読めば、男が求めている「いい女」というものがどんな女なのか分かってきますね。
 少し硬い話をまとめてアップしましたので、今回はブログっぽく楽に書きます。

 私は男ですから、男性作詞家が書いた歌詞に共鳴を覚えるものが多く、女性作詞家の歌詞ではグッとくるものはあまりありません。

 男というのは、精神的に動揺したり、こころに傷を負ったりすると、黙りこくってしまいます。
 自分の殻に閉じこもって、本来の自分を取り戻そうとするのです。

 と書いていて、森進一の『冬のリビエラ』 (作詞:松本 隆)を思い出しました。