処分申し渡しを、解除に差し替えた、同じ形式のものです。
式そのものは形式を整えるためのものですので、改めて言うべき事はありません。
ただ、先生方のお話で、2、3触れておかねばいけないかなと思うことがありますので、簡単に記しておきます。
女性学年主任である先生のお話
先生は、
「話を聞いて、**(息子の名)が学業・部活そしてアルバイトと一所懸命頑張って、彼女のこともあっていっぱいいっぱいだった、ということも分かった」
...と、息子なりに一所懸命頑張っていることに理解を示し、
「彼にとって、一番大事な人はだれなの?」と尋ねたところ、
「母が亡くなった後、男手で育ててくれた父です」と息子は答えた。
「その答えを聞いて、彼はもう大丈夫だと思いました」
...と、お話をしました。
母親でしたら、ここで涙する場面かもしれません。
でも母親はいませんので、できの悪い学園ドラマになることはありませんでした。
厳しさ一点張りの父親に対して、彼の気持ちを代弁された配慮はありがたく受け止めましたが、教育としては問題があるなと思います。
それを指摘してしまえば座の空気が凍り付くので控えました。
第一点は、同列に出来ないものを、比較させる質問です。
私も、子供の頃に母親から「お母さんとお父さんと、どっちが好き」と聞かれて、返事に窮して「どっちも」と答えた記憶があります。
えてして女性は「私と仕事と、どっちが大事なの?」とか、「私よりも、(趣味の類)車の方が大事なの!」という物言いをします。
しかし、家にいれば親兄弟が大事であり、学校にいれば友達や先生が大事であり、彼女といれば彼女が大事だというのが、自然な人間関係の有り様ではないですか。職場では仕事が大事なのです。
意識の位相が違うのです。
息子はできの悪い頭で、彼なりの模範解答を言っただけの話でしょうね。
もともと、回答できない質問をされているのですから「相手が望んでいるであろう回答を口に出した」だけでしょう。
第二点は、「大丈夫」とはどのような事が大丈夫だと言っているのか?
第三点は、何を以って大丈夫だとするのか、その根拠です。
1.息子は、学校で彼女を「平手打ち」したことを咎められているわけです。
2.そして、まずかったと反省している時に、
先生から回答できない質問をされて「父が一番大事」と答えるのが良いと思い、そう言った。
3.それで、先生は「もう大丈夫」だと。
1.2.3.の間には、論理的な脈絡はありません。大丈夫だという根拠も存在しない。
けれども、女性の指導主任である先生の頭の中では、きちんとつながっているということです。
それは、先生が了解しているのは、論理ではなく感情的な脈絡だからです。
論理的に飛躍している部分を、感情的脈絡でつないで、頭の中では整合性を保っているわけです。
ですがはっきり言いまして、指導主任と息子とはコミュニケーションが成り立っていませんし、また私とのコミュニケーションも成立していませんね。
共通の認識がなされていない。
これは、問題がありますよね?
指導主任の話を正しく理解するためには、言葉の裏に潜んでいる感情的意味を想像して理解しないといけない。
私が想像するに、
「彼は精神的に追い込まれて、疲れ、いっぱいいっぱいで、他者の気持ちを理解し受け止めることが出来ず、こんな事件を起こしたけれど、今は十分反省もし、気持ちも落ち着いてきて、いろいろ支援の手を差し伸べた先生方に感謝する気持ちも芽生え、さらには息子を案ずる父親の気持ちにも感謝することが出来るようになったので、精神的に一歩大人になることが出来て、二度とこのようなことを起こすことはないでしょう」
...というような感情的了解があるのかと思います。
しかし、それが的確に言葉になっていないのです。
私たちは人間関係の中で生きていく上で、
自分の内面を他者に過不足なく伝えていかねばなりません。
胸の内を見せなければ、心が通じ合う関係は決して生まれません。
伝わっていないことは、相手にとっては存在していないことと同じなのです。
ですから、自分の思いを相手に伝えることではじめて他者とつながることができる。
女性の言葉は感情がらみですので、その裏にある感情的な脈絡も把握しないと、何も理解したことにはなりません。男性が身につけなければいけないコミュニケーション能力なのです。
しかし、これは「二人の世界」やその発展形である家庭では良くとも、共同規範意識の世界ではいけないですね。
言葉には、「自己表出」と「指示表出」という相反する2つの要素があります。
女性・性の言葉は自己表出性が強く、男性・性の言葉は指示表出性が強い、という特性があります。
共同規範という男性原理の社会では、指示表出つまり辞書的な意味で論理思考をしなければ、その存立が基本的に成り立ちません。組織は常に、指示・命令系統で成り立っているのです。
仲良しクラブでは組織が腐ってしまいます。
一つ一つ、言葉の裏の意味を想像し解釈しなければいけないとなると、想像や解釈が間違っていればその間違った方向に物事が進んでしまいます。そのような要素は基本的に排除すべきものです。
「指導主任の先生と、女子生徒とは、実に同じ思考原理でものを考えている、ということを認識しないといけないでしょうね。
考えなければいけない教育的課題を持っているのではないですか?
そして、第四の問題点は、このできの悪い回答で「良し」としていることです。
私ならば、彼に「自分」という回答を期待します。
それはあまりにも自己中ではないかと考えられるかもしれませんが、話には続きがあります。
このような場合、一般的に言うのは「もっと自分を大切にしなさい。君を一番心配して見守っているのはお父さん・お母さんなんだよ」という決まり文句ですね。
自分というものと、お父さん・お母さんというのは、意識の位相が違う話ですので、母性原理と父性原理はいかに異なるかということを、述べてみたいと思います。
カウンセリング的アプローチ
生徒の気持ち・考えを深く知るためには、話を聞くスキルが必要です。
先生は指導的対話の中で、相手の話に耳を傾ける時に、自分の意見を差しはさんではいけません。
相手の答えを引き取って、さらに質問でフォローしてください。
「誰でも、自分が一番かわいいよね。それで、君が言う自分というのは、どういう自分なのかな?」
...というふうに話を続けます。
答えにくい場合は、「君は、自分のことをどういう人だと思っているのか、とりあえず10以上思いつく限り書き出してくれないか」といって、書き出してもらいます。
それに基づいて、先に述べたような自己認識の偏りを浮かび上がらせて、その偏りの原因となっているものの考え方、感情の表し方・受け止めかた、というものを浮かび上がらせていくわけです。
これが、相手の本当の気持ちを引き出し、それを確認させ、更に深く考えさせていくカウンセリングの方法なのではないでしょうか。
人間関係の原点は自分
何度も繰り返しますが...
人間関係の原点は自分なのです。
その自分をありのままに見つめ、
ありのままの自分を受け入れ、肯定して、
ありのままの自分を好きになり、
ありのままの自分を外に向かって表現していく
この「自分」という原点が確立しないと、良好な人間関係は始まらないのです。
私としては「そんな良い子ぶった答えはいらない。
何よりもまず自分を確立していかないと、本当に相手を思いやる気持ちも確かなものにならないよ」というふうに、その場で言いたかったのですが...。
先生の、母性原理的思いやりを尊重して、何も申し上げませんでした。
父に感謝する思いは元々大丈夫であって、けれどもダメであるところは、相変わらずダメだと、私は思いましたから。
男性原理、女性原理
誤解のないように補足的な説明を挟んでおきましょう。
先生が息子に問うた「今、何が(誰が)大事」という価値観ですが、これは女性・性のものの考え方です。女性はプロセスを重視します。今の自分の思い・感情を大切にします。
一所懸命やっている、ということを評価出来るのは、そのような価値観・ものの考え方が基本になっているからです。
一方、息子は男性・性のものの考え方しかできませんので、「今何が大事」というような考え方を基本的にしません。男性・性のものの考え方は目的志向ですから、結果を得ることに関心が行っている。
女生徒との感情的な行き違いも、この点にあるわけです。
世の中は基本的に男性原理で成り立っており、そこでは結果が大事なのです。いくら努力しても、結果を出せなければ高い評価をされない、というのが社会の現実です。
オリンピック男子100メートルで、世界新を出したウサイン・ボルト選手と、準決勝にも進めなかった朝原宣治選手とでは、どちらが一所懸命努力したかと言えば、間違いなく20年間夢を追い続けた朝原選手です。
しかし、手抜きで走っても結果を出したボルト選手は金メダルの栄誉を受け、莫大な報奨金と名誉と、社会的地位を獲得できました。
私が指摘した「自分という原点が確立しないと、良好な人間関係は始まらない」という考え方は、目的志向の考え方だということなのです。自分が大事ではなく、自分を確立せよ、ということです。
一所懸命やることを評価するのは、人間教育では必要なことですが、社会に送り出そうという段階での指導としては足りないのではないか、と申し上げているのです。
今回の件で、私が真っ先に思ったことは、大事の前の小事で足をすくわれた、ということです。
最初の就職というのは、その人の一生を左右する最重要事です。私はそのことを息子に再三言って、遊んでばかりいる彼にプレッシャーを与えました。
短期決戦では、やる気を待つより、「やらせられ気」で動かすことがものを言うからです。
一方、女生徒はまさに「今の自分の思い・感情」が大事、という女性・性の考えで、彼の人生最初の重大事である試練があと三日後という時に、彼を引きずり倒す行為をしました。
息子は出席停止処分をうけ、何人もの先生方の説教をうけて、精神的に萎縮してしまいました。
話す言葉も小さく、生気がなく、書く文字も筆圧が弱く、表情も抑鬱症状を呈している。
このような時は「がんばれ」と言っても、何も感じ取れないので、明日は試験なのだから、早く寝ろ、としか言いようがありません。
何とも、何を第一にしなければいけないか、という点が分かっていない人ばかりではないですか。
私は息子に、1の事象を最優先して、4を捨てろ。何者かであろうとするなら、2も3もホカしてしまえ。でなければ、何事も大成しない、と話をしています。
男性原理の典型的な表現は、戦時中の「欲しがりません!勝つまでは」というスローガンですね。
これは、典型的な目的志向の表現だと思います。
しかし、多くの女性は男性原理というものをあまり理解していないから、問題になる。
ここでは、目的志向というものが分かっていないから、やるべき事の優先順位も分かっていないという話です。
女生徒の場合は、「私ごと」=第2事象を最優先して、携帯電話=第3事象を用い息子の時間を奪い、彼の最重要緊急事項である就職試験=第1事象を阻害した、ということになります。
学校というのは生徒を教育して、進路指導を行い、進学・就職へと送り出します。その集大成の一つとなる就職試験受験を、彼女はぶち壊しにする行為を優先したということです。
「今の感情が大事。欲しいものは、今、欲しい」という態度ですね。
私はバカバカしいけれども学校の呼び出し=第3事象で、急いでやらねばならない出版社の仕事=第1事象を10日間も遅らせて、編集長との信頼関係を損ねてしまった。
学校は、就職試験に対して教育的配慮をし、事情の調査と教育指導に2日間を割いて、就職試験終了後に処分手続きに着手するべきだったのではないでしょうか。
教育よりも、管理を優先している姿勢が、ここに現れています。
多面的にものを見ることが出来る大人として、バランスのとれた目的志向を根本的に押さえておかなければ、筋が通らないし、整理がつかないでしょう。
社会に送り出すために必要なこと
次は息子の方の問題点です
母親がネグレクト(育児放棄)をした事情もあって、私は彼を育児の段階から母親代わりをしながら、当然父親としての役割も果たしてきていました。
姉と兄が「アホ**」と彼を呼び、ことあるたびにバカ扱いすることを厳しく諫め、疎外されたり無視されるのを注意深く見守って、様々な母親的フォローをしてきました。
食べ物一つをとっても、運動をしている息子に先に食べさせ、残ったものを私が食べるなどという、父親らしからぬことも普段にやっています。
ですから、親に感謝しているということは日々の生活の中で分かっているのです。
ある時、晩酌をして寝込んだ後に、夜遅くにうるさくしている長男を叱り、親子喧嘩をしたことがあります。取っ組み合いながら言い争ったのですが、酔っていた私は後ろから長男に首を絞められて、身動きがとれない状態になりました。
その時、二男の彼が物音を聞いて駆けつけ、やめろと言って、長男を引きはがしにかかったのです。今度は、息子同士の喧嘩になりそうになりましたが、兄弟の中で一番権力を持っている長女が割って入って、殴り合いにはなりませんでした。
私は長男に「お前も力が強くなったな」と笑いかけました。
力で父親に向かってきたのを、うれしく思ったのです。
また、二男である彼が長男とぶつかり合ったことも、心強く感じました。
この時私は、長男が独り立ちできるようになったかなと、ホッとしたのです。
男の子は、一人前の男として精神的に成熟していくためには、父親のかざす父性原理と、いつかは対峙して、それを乗り越える、あるいは通過していく課程を経なければいけないなのです。
この時、父親が強すぎると、息子は「よい子」のまま精神的に大人になれず、未熟な大人になる。
父親が弱すぎれば、息子は「大人を見くびる」怖いもの知らずの無軌道な、やはり未熟な大人になる。
私の場合ですと、母親と対峙して「お母さんの言うとおりにはならない」と押し倒したのは小学5年の頃であり、母は「あの子に転がされた」と笑って、家族に話をしていたのを覚えています。
父親とにらみ合ったのは高校1年でしたが、手に負えなかった父は警察を呼んだほどです。
そのことがあって、私は母からも父からも精神的に独立し、老いて衰えていく親にいささかの憐憫の情と、親しみと、親というのは悲しいものだなというそれまでにない気持ちを持つようになったのです。
ですから、私は自分が親になって、息子たちが夕食のお膳をひっくり返すのはいつかな?と、心して待っていたのです。
それが、ようやくやってくれたかということで、ホッとした気持ちになったのです。
言い争って父親が負けることはありえませんので、気合いと腕力で負けてやりたいと思っていた。
男の子の反抗の総仕上げですから、卒業式をこころの中で祝ったのです。それ以降、私は、長男を大人として扱うようになりました。
今回、学年主任の先生のお話をうかがって、いかんのではないかと思ったのはここの部分に関わる問題点です。
まず、初めに誤認を指摘しておきたいと思います。
息子は「ありのままの事実」を認めたくないか、あるいは分かっていながら「人の同情を引くような言い逃れ」をしているのです。どちらの場合でも、問題ですね。
学業と部活の他にアルバイトもやっているからいっぱいいっぱいだった、と言っていますが、実際のところ「疲れるほど遊びすぎた」というのが実態に近いですね。
普段は朝起こさないと起きないほどなのに、遊びに行く時は朝暗いうちから起き出して、準備をしたりするので、少しは家で休んでいたらどうなんだ、と言ったりしました。
会社で言えば、「PM5時から男で」、遊び疲れて本業がおろそかになっている、という話です。
また、「人の同情を引くような言い訳」は、厳しくするとついつい出てくる彼の「甘えている」部分だなということは、以前から私も気づいていました。
これは、親に甘えることを知らずに育ったというタンハー(渇愛)から来ているのかと考えています。
しかし、ダメなものはダメだと、教育したい。
そして、問題だなと感じたのは「一番大事な人は父親」という発言...
父親の役割というのは、子供が社会に船出していけるように育てることなのです。
父親は社会の人間関係や社会規範そして厳しい競争というものを骨身にしみて身につけていますので、そのような厳しさを乗り越えられるように育て、送り出したい。
ですから、自分と対峙して、乗り越えていくだけの膂力(りょりょく)を身につけて欲しいと願っている。
自分の持っているすべての力を振り絞って、ぶつかって来いと待っているのです。
ぶつかり合えば、息子の膂力が分かるからです。喧嘩をすると、相手のレベルがわかる。
「膂力」というのは、様々な困難に出会っても、敢然とそれに立ち向かい、乗り越え、生き抜く、持てる全ての力、という意味です。
「肉月」に「旅」ですから、旅する体力という意味です。
彼はあと半年で、社会人となります。
父親は彼に、もっと精神的に自立して欲しいと願っている。
だから、甘ったれた根性をたたき直してやる、と突き放す。
ぶつかってこいと、待っているのです。
このような状況で、息子のあの言葉を聞いて、喜んでなんかいられない訳です。父親ですから。
親父の小言をありがたく思えるのは、10年、15年たって自分が父親になってからだということを、父親は分かっています。
男は目的志向ですから、そういうことを教えているのだと自覚しているわけです。
ですから、「父親が大事」などという話を聞かされては、「父親が望んでいるのはそんな事じゃないぞ」と一発ど突きたくなるのです。
細木数子さんは「女が男の子を育て上げることは出来ない」と言っていましたが、正しくは「母性原理で、男の子を一人前の男に育て上げることはできない」といった方が良いでしょう。
「男の子」が「一人前の男」になるためには、父性原理の通過儀式を乗り越えていかねばならないのです。
それが、男の子が精神的に成熟し、自立した大人になっていくプロセスなのです。
この点に触れたのは、担任のW先生でした。
「社会人になれば、大人の人との人間関係が多くなるのだから、(大人である)お父さんを避けないで、もっと話をして大人の考えを学ばないといけない」という話をされました。
厳密に言えば、大人ではなく父親です。母親では意味がないのです。
先生は、喧嘩をしたり、怒りをぶつけ合うことをいけないと指導する教師ですので、当たり障りのない言い方をしたのでしょうが、男性ですから父親の考えを持っているな、と思いました。
ただし、一般論を静かに諭しただけでは、「よい子」を作ることは出来ても、「一人前の男」を育てることはできないでしょう。
社会人になる前に、父親と対峙して本音でぶつかり合う経験を通じて、父性原理の何たるかを知っておかないと、いけないでしょうね。
社会というのは、男性原理の共同体ですから。
何の免疫も持たずに社会人になって、上司とぶつかったりすると、困ることになります。
(13)グローバル化時代の教育...に続く
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