グローバル化時代の教育
社会というのは常に変化しています。歴史的に見て、現在の日本は女性原理社会へとパラダイムをシフトしつつあります。これは歴史
的に見られる周期的な変化の一環だと思います。
古来、狩猟採取の縄文時代は男性原理社会、農耕が定着した弥生時代は女性社会、大和朝廷が成立して男性社会となり、平和が続いた平安時代前後は女性社会、戦争の多かった武家政権時代は男性社会、徳川中後期時代は安定した全国統一が固定した女性社会、幕末から明治は男社会、大正から昭和初期は女性社会、そして太平洋戦争前後までは男性社会、戦後教育が一巡して女性の社会進出が進み女性社会へと変わりつつある、という流れがあります。
(この流れは決して単純ではなく、大きなうねりの中に小さなうねりがあり、更にその中にうねり
があるという複合的構造をしています。)
今の日本人に何故精神年齢が低い大人子供が多いのかというと、根底に女性原理が優位な社会になりつつあるという状況があるからです。
男性社会の象徴的な社会現象は戦争(集中)であり、女性社会の象徴的な現象は平和(ぼけ)、だ
と思います。
平和であることは喜ばしいことですが、共同規範の男性原理が軽視され、精神的に未熟な大人が
どんどん増えている現状には、警鐘を鳴らす必要があると思います。
今日のように世界規模でグローバル化が進んだ結果、経済戦争や文化の衝突といった、武力を伴
わない戦争が全世界で起こっています。
たとえば、ドングリの横並びで明確な事業戦略を持っていなかった我が国のゴルフ場は、強大な資本と、明確な事業戦略を持った外資に、あっという間に席巻されてしまいました。
たまたま、私が関係していたゴルフ場も、親会社ごと20ゴルフ場が買収され、不採算ゴルフ場は廃止、再生ゴルフ場は予算を半分に切られ、収益を130%に増やすという徹底的な合理化経営を指示されました。
幸運にもこの外資が買収したゴルフ場の、新予算を策定するスタッフの一人になった私は、欧米流のキャッシュフロー経営の実際を調べることができて、そのドラスティックな事業戦略を分析することが出来ました。
国際的なビジネス戦争では、アングロサクソンにならないと勝てない、という声があります。
アングロサクソンになるということは、徹底的な論理思考を持ち、明確な事業戦略を構築できる能力を持つということです。
彼らは、収益をいくら上げる、ということを最初に設定して、この目標から逆算して、集客数に限度のある施設サービス業の限界に近い売り上げ目標を掲げ、不採算要因となる人件費を限界まで圧縮する。つまり、冷酷にレイオフをします。人員が減ればサービス品質が落ちますが、サービスの内容を細かく規定して、やるべき事・やらない事を明確にします。
徹底的な目的志向ですね。
爪楊枝一本のコストまで、細大漏らさず予算化していくドラスティックな手法は、ほとんどの日本人がお手上げ状態でした。しかし、出来なければ辞めてもらうだけ、というのがグローバルスタンダードな論理なのです。
これは大都会の話ではないのです。この町でも隣町でも起きている現実なのです。
先日、ミスインターナショナルのコーチの女性を取り上げた番組を見ました。日本人女性に歩き方の指導をしていて、どうしても上達しない一人に「あなたは、これだけ時間をかけて教えているのに上達しない。なぜ?」と厳しく問いつめました。
その女性は思わず泣き出します。すると、女性コーチは、
「何故、泣くわけ?」「泣くことで、何かが良くなるの?」と、ビシビシと指導していきます。
日本人的な甘い考えを、欧米人はしません。男社会の論理を徹底して身につけた大人です。
まさに、経済戦争や文化の衝突といった、武力を伴わない戦争が起こっているのです。
その現実が、日に日に目の前に迫ってきています。
ふやけた男にわがまま女、という大人子供を世の中に送り出していては、日が沈みますよという警鐘を鳴らさねばいけないでしょう。
ドラスティックな論理思考と、男性原理である目的志向を女生徒にも指導すべきです。
公立高校が生徒の問題にどこまで踏み込めるか、どこまで指導するか、は難しい問題だと思いますが、線引きなど本来必要ないと思います。
学校は社会の縮図ですから、いろいろな問題が起こります。起こることを前提として、未熟な生徒たちの失敗を「学ぶ機会・教える機会」と捉えて、失敗の原因を明らかにする。
そして、問題を考えるための原理原則を明確に示してやらなければ、文科省が言う「自己教育力」
など、育つものではない、と思います。言葉ありて、実体なし、です。
正しく方向性を示すことができないまま、社会に送り出すことは無責任でしょう。
「はなむけ」という昔の言葉は、旅立つ人が乗っている馬の手綱をとって、旅先への道を向かせ
る(鼻向け)ということですね。
今の世の中がどうなっているのかを見極めて、十年一日の形骸化した指導ではなく、今求められ
ていることは何か、を考えなければ学校は生徒たちに「はなむけ」など出来ないのではないですか?
があるという複合的構造をしています。)
今の日本人に何故精神年齢が低い大人子供が多いのかというと、根底に女性原理が優位な社会になりつつあるという状況があるからです。
男性社会の象徴的な社会現象は戦争(集中)であり、女性社会の象徴的な現象は平和(ぼけ)、だ
と思います。
平和であることは喜ばしいことですが、共同規範の男性原理が軽視され、精神的に未熟な大人が
どんどん増えている現状には、警鐘を鳴らす必要があると思います。
今日のように世界規模でグローバル化が進んだ結果、経済戦争や文化の衝突といった、武力を伴
わない戦争が全世界で起こっています。
たとえば、ドングリの横並びで明確な事業戦略を持っていなかった我が国のゴルフ場は、強大な資本と、明確な事業戦略を持った外資に、あっという間に席巻されてしまいました。
たまたま、私が関係していたゴルフ場も、親会社ごと20ゴルフ場が買収され、不採算ゴルフ場は廃止、再生ゴルフ場は予算を半分に切られ、収益を130%に増やすという徹底的な合理化経営を指示されました。
幸運にもこの外資が買収したゴルフ場の、新予算を策定するスタッフの一人になった私は、欧米流のキャッシュフロー経営の実際を調べることができて、そのドラスティックな事業戦略を分析することが出来ました。
国際的なビジネス戦争では、アングロサクソンにならないと勝てない、という声があります。
アングロサクソンになるということは、徹底的な論理思考を持ち、明確な事業戦略を構築できる能力を持つということです。
彼らは、収益をいくら上げる、ということを最初に設定して、この目標から逆算して、集客数に限度のある施設サービス業の限界に近い売り上げ目標を掲げ、不採算要因となる人件費を限界まで圧縮する。つまり、冷酷にレイオフをします。人員が減ればサービス品質が落ちますが、サービスの内容を細かく規定して、やるべき事・やらない事を明確にします。
徹底的な目的志向ですね。
爪楊枝一本のコストまで、細大漏らさず予算化していくドラスティックな手法は、ほとんどの日本人がお手上げ状態でした。しかし、出来なければ辞めてもらうだけ、というのがグローバルスタンダードな論理なのです。
これは大都会の話ではないのです。この町でも隣町でも起きている現実なのです。
先日、ミスインターナショナルのコーチの女性を取り上げた番組を見ました。日本人女性に歩き方の指導をしていて、どうしても上達しない一人に「あなたは、これだけ時間をかけて教えているのに上達しない。なぜ?」と厳しく問いつめました。
その女性は思わず泣き出します。すると、女性コーチは、
「何故、泣くわけ?」「泣くことで、何かが良くなるの?」と、ビシビシと指導していきます。
日本人的な甘い考えを、欧米人はしません。男社会の論理を徹底して身につけた大人です。
まさに、経済戦争や文化の衝突といった、武力を伴わない戦争が起こっているのです。
その現実が、日に日に目の前に迫ってきています。
ふやけた男にわがまま女、という大人子供を世の中に送り出していては、日が沈みますよという警鐘を鳴らさねばいけないでしょう。
ドラスティックな論理思考と、男性原理である目的志向を女生徒にも指導すべきです。
公立高校が生徒の問題にどこまで踏み込めるか、どこまで指導するか、は難しい問題だと思いますが、線引きなど本来必要ないと思います。
学校は社会の縮図ですから、いろいろな問題が起こります。起こることを前提として、未熟な生徒たちの失敗を「学ぶ機会・教える機会」と捉えて、失敗の原因を明らかにする。
そして、問題を考えるための原理原則を明確に示してやらなければ、文科省が言う「自己教育力」
など、育つものではない、と思います。言葉ありて、実体なし、です。
正しく方向性を示すことができないまま、社会に送り出すことは無責任でしょう。
「はなむけ」という昔の言葉は、旅立つ人が乗っている馬の手綱をとって、旅先への道を向かせ
る(鼻向け)ということですね。
今の世の中がどうなっているのかを見極めて、十年一日の形骸化した指導ではなく、今求められ
ていることは何か、を考えなければ学校は生徒たちに「はなむけ」など出来ないのではないですか?

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