学校教育と男女交際(5) 学校は、果たして聖域なのか?

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 水洗トイレが普及する以前、「臭い匂いは、元から絶たなきゃダメ」というCMがありましたね。誰もが納得する理屈ではないでしょうか。

 「結果を悪とするならば、悪の原因を絶たなければ、根本解決にはならない」というのが、世間常識の考え方だと思います。

 しかし学校は、結果だけを処罰して、原因は教育的配慮によって追求しにくい、というのです。

 原因を見ていくと、そこには人間関係にまつわるどろどろしたものが出てくるので、そういう部分は学校教育には馴染まない、ということでしょう。


 これは、学校というものを聖域視しているからではないか、と思います。
 しかし、学校は果たして人間関係の問題を排除してよい聖域なのでしょうか?


 学校といえども、好むと好まざるとに関わらず、社会の縮図であることを免れません。

 高校を卒業したら、社会人として世に送り出す生徒が多数いるのではないですか?

 無菌マウス生徒を大量に育て、人畜無害、素直に指示に従う人材に仕上げて、社畜という企業奴隷予備軍を送り込むことが、学校の崇高な理念なのでしょうか?


 もちろん、学校はそう思ってやっている訳ではないことは分かりますが、「結果として」そのような無菌マウス教育を押しつけようとしている事に気づいていない。

 学校を聖域視して、社会常識とずれているから、それに気づかないのではないかと思います。


 男女共学をしている以上、男女交際の問題は必ず出てきます。
 社会の縮図であることを免れ得ない。
 
 私は、男女交際の問題は、生徒を社会人として世に送り出すには、最も重要な教育課題を内包していると考えています。


 男女交際は学生としての節度と社会常識をわきまえて、などという役にも立たない倫理学習では、指導の意味がありません。現実の状況は、そのような学習内容よりも遙かに先に進んでいるからです。


 それを前提にして、教育していかねば意味がない。


 学校では、フィジカルな領域の性教育を行っていますが、メンタルな領域である性差を教える教育は行っていません。

 片手落ちの、現状追認教育だと申し上げたいですね。


 世の中には、男性原理のものの考え方と、女性原理のものの考え方とがあり、国家や社会という共同的規範の世界は男性原理で成り立っているわけです。


 けれども、女性は男性の「ものの考え方」を分かっていないし、誰からも教えられていない。
 そして、男性は女性の「ものの考え方」を分かっていないし、誰からも教えられていない。


 この教育の欠如が、今日のように自分というものをダメにし、家庭をダメにし、企業や組織をかき乱す結果を至る所に招いているのです。


 学校において、男女交際の問題は重要な教育課題であると認識して、コミュニケーション能力そして人間関係を調整していく能力を向上させることによって、社会に頻出している多くの問題が改善されるのだと思います。


「男女交際の問題」と聞いて、いわゆる倫理教育的な概念しか思い浮かばないとしたら、戦前の教育レベルでしかない、という自覚が必要でしょう。


 世の中のありように対して、学校教育が対応していない。ずれているのです。

 お話を聞いていると、学校はそのようなことを、十分には認識されていない、と感じます。


 私が、常々言っている「業界バカの壁」という、社会常識とずれた業界常識の問題が、学校教育の場でも見られると申し上げざるを得ません。

 (6) 意識の位相と男女の考え方の違い...に続く

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