つい最近の事ですが、娘の友達(女性)が自殺をしました。
亡くなった2日後に、「さようなら」という携帯メールが届いたとか。
以前から話を聞いていて、危惧していたのですが、いろいろとあるようです。
亡くなった2日後に、「さようなら」という携帯メールが届いたとか。
以前から話を聞いていて、危惧していたのですが、いろいろとあるようです。
憶測で軽率な事は言えませんが、
死ぬほど悩むくらいなら、みんな放り出して家でごろごろ寝ていればいいものを、と思いました。
一日遅れの告別に行く娘を乗せて、車を走らせる途中で「家が安住できる場所でなかったのだろうな」と話をしました。
話では、お母さんがものすごく生真面目な方だそうで、やはりな...と思いました。
鬱の人は何よりも「怠けていると思われるのが辛い」と言います。
ところが母親は、どうも犠牲者の役割を引き受けてしまう人のようでした。
「妻としての義務、母としての義務」という美名の重荷をみんな背負い込み、犠牲的精神を発揮する。しかし、心の底でそのような重圧に自分ひとりで耐えているのに慣れっこになっている家族に憎しみをため込んでいる。
このような人は、えてして問わず語りに「私はこんなに苦労しているが、あなたは苦労していない」という気持ちを態度に現します。鬱の人には、針のムシロに座っている心境になるのではないでしょうか。
この女性(仮にAさんとします)は長い間うつ病を抱えて、向精神剤を服用していたそうです。時々、娘と食事をしたりしていましたが、そんな時は薬のせいで躁状態にありほとんど何も食べずに、割り勘するのが悪いと娘は言っていました。
それでいて、ものすごく元気なの!と、娘は驚いていましたが、それは薬のせいで、実際にはひどく痩せていたようです。
Aさんは昨年まで娘と同じ職場で働いており、部署は違っていましたが同じフロアで仕事をしていました。
ある日、サービス残業で遅くなったとき、彼女が古参の先輩(女性)から、面と向かって罵倒されている現場に遭遇して、あまりのひどさにショックを受けた、という話を聞きました。
この先輩女性は娘とも親しく、とてもそのような事をする人ではないという信頼感を持っていたからです。その女性は、さらに罵倒の手紙をAさんに送りつけ、悩んだ彼女は娘にその手紙を見せてくれたようです。
彼女たちは経理の仕事をしており、先輩は細かいミスをするAさんに再三指導をしていたようです。
Aさんは「私が悪いのだから、しょうがないのよ」と落ち込んで、飲む薬の量が増える。躁状態では細かいミスを犯し、うつ状態では仕事がはかどらず、どちらにしても叱責を免れない、という悪循環に陥っていました。
私は娘に、彼女は転職をしないとだめだね。雇用保険があるのだから、半年くらいは治療に専念して、もっと気楽に勤められる仕事を選んだほうが良い、とアドバイスをしました。
その後、彼女は半官半民の楽な事務職を見つけ転職し、私もホッとしましたが、治療をして軽快してからの方が良いのにな、と若干の懸念をしていました。新しい職場は変な人がいなくてうれしい、と言っていたようです。
彼女はすぐに自己反省をしやすい人なので、自分はOK相手はNO!という他人を非難するタイプのひとの批判と攻撃の対象になりやすいのですね。
なぜ、家でしばらくぶらぶらしていないのか、と私が親であればお勧めの湯治場を紹介してあげたのにと思いました。
娘の話では、Aさんの家は私も仕事をした新興住宅街にあり、父親は先年病気で亡くなられたそうです。バブル期に普及した思いやりローンという負担先送りシステムと、バブル崩壊後の困難、それに追い討ちをかける病気入院、という負担が残された母子にのしかかった状況が根底にあるようです。
父親の希望で自宅療養という選択をしたそうですが、母親は介護とパート労働で必死に努め、過酷な責任を全うすることができたそうです。この間の苦労は大変なものがあったはずです。Aさんも、稼がねばならない状況にあった。
しかし、住宅ローンは生命保険とセットですから、一家の主を失うことで、同時に住宅ローンの重圧からも開放されたでしょうね。
母子は大きな喪失と重圧からの解放という、茫然自失の状態のまま、ともかく生活をし続けるしかなかったようです。ただ、母親とAさんの受け止め方は、違っていたのだと思います。
経済的な負担を娘と分かち合った母は、一家の大黒柱を失ってから、精神的に娘にすがる部分が大きかったようです。しかし、母親ですから、単にすがるというのではなく支配する形で本当の気持ちを後ろに隠したのではないかな、と思えます。
Aさんは、センシティブな性格らしく、母親の献身的で自己犠牲の姿を見続けているために、すまないという気持ちが強い。本来ならば、もっと依存して良い娘の立場ですが、それよりも母親に申し訳ないからと、自分もつらいのに依存できない。
私は娘に、「家でぶらぶらできない雰囲気を、お母さんが持っていたのではないかな」と言うと、
「いや、彼女には弟がいて、かなり気ままにカンボジアとかあたりで何かやってるみたいよ」と答えました。
男の子の場合、母親が献身的に世話してくれることに慣れてしまって、すまないという気持ちどころか、ありがたいという感謝の気持ちすら希薄なことが多いのが、昨今のわが国の文化風土としてあります。
男の子をわがままに育てたという面もありますが、母親と息子の関係は、同性同士の母娘ほどの一体感はありません。母親を捨てることができる関係です。
これは、ある意味で永遠なものがあります。
今も昔もあまり変わらない、ところがあるのです。
母親の気持ちの中に、息子を頼りにしたい気持ちはあっても、日常的には娘と相互依存するしかない状況だったのでしょうね。
この状態は、Aさんにとっては極めて難しい精神状況なのです。母親は本来的に、子供たちを我がものと思う傾向が強く、特に母と娘は父子関係には見られない濃密な一体関係を作ります。
そして、彼女の先輩のような敵対的人物が現れると、母娘の話の種になり、共通の敵として母・娘の一体感をより強固にしていく作用を持つ。
母親に相談すること自体は悪い事ではないのですが、
彼女の母は献身的な自己犠牲の姿を見せる事で娘を精神的に支配している人だった...。
Aさんがありがたいと思う気持ちは、すなわち母親の支配そのものである、という表裏一体の関係は、これまた母と娘の永遠なのですね。
転職した事で、うつの原因が消失したかと思いきや、実は本当の原因はこの母子関係にあったのではないかと思います。
うつというのは、原因がなくなればウソのように症状が軽快するものですが、本当の原因が別にあったと言わざるを得ないものが窺えます。
お母さんは、娘さん以上にやせ細っていらっしゃいました。
献身的な妻であった、そして今は不幸な後家さんでいる、という姿を少しも崩していないように見えます。
夫を看取った後は、自分を解放して自分の幸福を考え、食道楽にでもなって太るぐらいの鈍感力が欲しいなと感じます。
少し古い日本的な感性では、「貞女は二夫にまみえず」として余生を夫の菩提を弔って生きるのが美徳とされていましたが、そのような心根をもった生真面目な方なのかもしれません。
そして、その姿こそが娘を自分の手元に引き付けておくコントローラーでもある事を、無意識にも感じていたのかもしれません。
私は、この母親を二重三重の意味で痛ましく思います。
心の中で頼りとしていた娘に先立たれてしまったこと...。
息子は父親が亡くなった事で自立していき、自分の思い通りになる「いわゆる良い子」でなくなったこと。
そして、娘の死の意味をいまだ理解できていないようであること...。
Aさんは本当は母にわがままを言いたかった、
心置きなく家でぶらぶらし、ベッドでうだうだ、ごろごろしていたかった、
そして、母にすまないと思い、そして感謝していたけれど、本当は
心の底では憎んでいたこと...。
彼女は、母を悲しませたくなかったために、自分の本当の気持ちを率直に言うことがどうしてもできなかった。
その、八方塞にしか見えなかった自分の世界に絶望したのではないでしょうか。
母親から自立することが申し訳ない、という母子関係そのものが、彼女を死に追いやったのだと思います。
死ぬほど悩むくらいなら、みんな放り出して家でごろごろ寝ていればいいものを、と思いました。
一日遅れの告別に行く娘を乗せて、車を走らせる途中で「家が安住できる場所でなかったのだろうな」と話をしました。
話では、お母さんがものすごく生真面目な方だそうで、やはりな...と思いました。
鬱の人は何よりも「怠けていると思われるのが辛い」と言います。
ところが母親は、どうも犠牲者の役割を引き受けてしまう人のようでした。
「妻としての義務、母としての義務」という美名の重荷をみんな背負い込み、犠牲的精神を発揮する。しかし、心の底でそのような重圧に自分ひとりで耐えているのに慣れっこになっている家族に憎しみをため込んでいる。
このような人は、えてして問わず語りに「私はこんなに苦労しているが、あなたは苦労していない」という気持ちを態度に現します。鬱の人には、針のムシロに座っている心境になるのではないでしょうか。
この女性(仮にAさんとします)は長い間うつ病を抱えて、向精神剤を服用していたそうです。時々、娘と食事をしたりしていましたが、そんな時は薬のせいで躁状態にありほとんど何も食べずに、割り勘するのが悪いと娘は言っていました。
それでいて、ものすごく元気なの!と、娘は驚いていましたが、それは薬のせいで、実際にはひどく痩せていたようです。
Aさんは昨年まで娘と同じ職場で働いており、部署は違っていましたが同じフロアで仕事をしていました。
ある日、サービス残業で遅くなったとき、彼女が古参の先輩(女性)から、面と向かって罵倒されている現場に遭遇して、あまりのひどさにショックを受けた、という話を聞きました。
この先輩女性は娘とも親しく、とてもそのような事をする人ではないという信頼感を持っていたからです。その女性は、さらに罵倒の手紙をAさんに送りつけ、悩んだ彼女は娘にその手紙を見せてくれたようです。
彼女たちは経理の仕事をしており、先輩は細かいミスをするAさんに再三指導をしていたようです。
Aさんは「私が悪いのだから、しょうがないのよ」と落ち込んで、飲む薬の量が増える。躁状態では細かいミスを犯し、うつ状態では仕事がはかどらず、どちらにしても叱責を免れない、という悪循環に陥っていました。
私は娘に、彼女は転職をしないとだめだね。雇用保険があるのだから、半年くらいは治療に専念して、もっと気楽に勤められる仕事を選んだほうが良い、とアドバイスをしました。
その後、彼女は半官半民の楽な事務職を見つけ転職し、私もホッとしましたが、治療をして軽快してからの方が良いのにな、と若干の懸念をしていました。新しい職場は変な人がいなくてうれしい、と言っていたようです。
彼女はすぐに自己反省をしやすい人なので、自分はOK相手はNO!という他人を非難するタイプのひとの批判と攻撃の対象になりやすいのですね。
なぜ、家でしばらくぶらぶらしていないのか、と私が親であればお勧めの湯治場を紹介してあげたのにと思いました。
娘の話では、Aさんの家は私も仕事をした新興住宅街にあり、父親は先年病気で亡くなられたそうです。バブル期に普及した思いやりローンという負担先送りシステムと、バブル崩壊後の困難、それに追い討ちをかける病気入院、という負担が残された母子にのしかかった状況が根底にあるようです。
父親の希望で自宅療養という選択をしたそうですが、母親は介護とパート労働で必死に努め、過酷な責任を全うすることができたそうです。この間の苦労は大変なものがあったはずです。Aさんも、稼がねばならない状況にあった。
しかし、住宅ローンは生命保険とセットですから、一家の主を失うことで、同時に住宅ローンの重圧からも開放されたでしょうね。
母子は大きな喪失と重圧からの解放という、茫然自失の状態のまま、ともかく生活をし続けるしかなかったようです。ただ、母親とAさんの受け止め方は、違っていたのだと思います。
経済的な負担を娘と分かち合った母は、一家の大黒柱を失ってから、精神的に娘にすがる部分が大きかったようです。しかし、母親ですから、単にすがるというのではなく支配する形で本当の気持ちを後ろに隠したのではないかな、と思えます。
Aさんは、センシティブな性格らしく、母親の献身的で自己犠牲の姿を見続けているために、すまないという気持ちが強い。本来ならば、もっと依存して良い娘の立場ですが、それよりも母親に申し訳ないからと、自分もつらいのに依存できない。
私は娘に、「家でぶらぶらできない雰囲気を、お母さんが持っていたのではないかな」と言うと、
「いや、彼女には弟がいて、かなり気ままにカンボジアとかあたりで何かやってるみたいよ」と答えました。
男の子の場合、母親が献身的に世話してくれることに慣れてしまって、すまないという気持ちどころか、ありがたいという感謝の気持ちすら希薄なことが多いのが、昨今のわが国の文化風土としてあります。
男の子をわがままに育てたという面もありますが、母親と息子の関係は、同性同士の母娘ほどの一体感はありません。母親を捨てることができる関係です。
これは、ある意味で永遠なものがあります。
今も昔もあまり変わらない、ところがあるのです。
母親の気持ちの中に、息子を頼りにしたい気持ちはあっても、日常的には娘と相互依存するしかない状況だったのでしょうね。
この状態は、Aさんにとっては極めて難しい精神状況なのです。母親は本来的に、子供たちを我がものと思う傾向が強く、特に母と娘は父子関係には見られない濃密な一体関係を作ります。
そして、彼女の先輩のような敵対的人物が現れると、母娘の話の種になり、共通の敵として母・娘の一体感をより強固にしていく作用を持つ。
母親に相談すること自体は悪い事ではないのですが、
彼女の母は献身的な自己犠牲の姿を見せる事で娘を精神的に支配している人だった...。
Aさんがありがたいと思う気持ちは、すなわち母親の支配そのものである、という表裏一体の関係は、これまた母と娘の永遠なのですね。
転職した事で、うつの原因が消失したかと思いきや、実は本当の原因はこの母子関係にあったのではないかと思います。
うつというのは、原因がなくなればウソのように症状が軽快するものですが、本当の原因が別にあったと言わざるを得ないものが窺えます。
お母さんは、娘さん以上にやせ細っていらっしゃいました。
献身的な妻であった、そして今は不幸な後家さんでいる、という姿を少しも崩していないように見えます。
夫を看取った後は、自分を解放して自分の幸福を考え、食道楽にでもなって太るぐらいの鈍感力が欲しいなと感じます。
少し古い日本的な感性では、「貞女は二夫にまみえず」として余生を夫の菩提を弔って生きるのが美徳とされていましたが、そのような心根をもった生真面目な方なのかもしれません。
そして、その姿こそが娘を自分の手元に引き付けておくコントローラーでもある事を、無意識にも感じていたのかもしれません。
私は、この母親を二重三重の意味で痛ましく思います。
心の中で頼りとしていた娘に先立たれてしまったこと...。
息子は父親が亡くなった事で自立していき、自分の思い通りになる「いわゆる良い子」でなくなったこと。
そして、娘の死の意味をいまだ理解できていないようであること...。
Aさんは本当は母にわがままを言いたかった、
心置きなく家でぶらぶらし、ベッドでうだうだ、ごろごろしていたかった、
そして、母にすまないと思い、そして感謝していたけれど、本当は
心の底では憎んでいたこと...。
彼女は、母を悲しませたくなかったために、自分の本当の気持ちを率直に言うことがどうしてもできなかった。
その、八方塞にしか見えなかった自分の世界に絶望したのではないでしょうか。
母親から自立することが申し訳ない、という母子関係そのものが、彼女を死に追いやったのだと思います。
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