前回出てきたタブラ奏者のザキルのデビューはなんと13歳です。父への出演依頼に、自分の代わりに息子を推薦したのですが、すでに一流奏者としての腕を認めていたわけです。
ザキルはリザーブなしの切符一枚で、列車に乗って演奏会場のあるパトナに向かいました。
座席を予約していないため、列車の椅子に座る事ができずに、通路にあぐらをかいてタブラをひざの上に抱えてベナレスの東にあるパトナに行ったそうです。
ここでは二人が競演したタブラ演奏を紹介します。
Ustad Allah Rakha & Zakir Hussain
これは普段の練習風景そのものですね。
このような修練をタブラの場合4.5歳の頃からやってきていますから、20歳台でキャリア20年というわけですので、新米どころかあぶらが乗り切っているというところです。
ザキルは道場破りのように、いろいろな演奏家と競演していますので、父親よりも世界的な名声を博しています。
それにしても、13歳で演奏会デビュー。それも、お子様の発表会というようなものではなく、名うての演奏家たちのリズムパートを受け持つ、というのは大変なプレッシャーです。
インド音楽のリズムはTala といいますが、インド音楽の高度なテクニックのひとつとして、途中でリズムを変えてぐるっと一周して元のリズムに復帰する、というのがあります。
4444で構成される16ビートの曲の途中で、2323の10ビートに切り替えたとしたら、10と16の最小公倍数である80ビートまでやらないと、元のリズムに復帰できないわけです。
その間、シタールやサロードあるいはバンスリ、サランギなどのメロディー楽器はタブラのリズムにつられることなく内的リズムを守って、80ビートあるいはその倍数を演奏しなければなりません。
ずっとリズム違いの状態を80ビートまで刻んで、最初の拍に戻ってジャン!と決めたりすると、耳の肥えている聴衆は「オオー!」という感じで、拍手喝采というわけです。ワンパターンのロックのリズムと比べると、想像もできない超絶技の世界です。
そこまで、出来ていなければ師としては送り出すことは出来ません。私たちが想像するだけでもゾッとするほどの緊張だと思うのですが、そんな不安が起きようもないほど修練をしている、ということです。
であるにもかかわらず、その真剣勝負の決闘の場に、リザベーションなしの列車乗車券一枚で送り出す、というのもすごいです。獅子はわが子を谷底に落とす、という例えさながらですね。
当時のインドの列車は予約をすると、列車および何号車という指定券をもらいます。予約なしですと、座席には座れません。
私がベナレスからニューデリーに行ったとき、カルカッタ発の列車は予定時刻に来なくて、次々と入ってくる列車の各車両に貼り付けてある乗客名リストを1号車から最後尾まで走って見て回る事を何度も繰り返しました。
駅のアナウンスはないし、駅員も数時間の遅れは当たり前なので、正確な情報はつかめない。かすれたタイプ印刷のリストをさっと眺め、自分の名前がなければ次の車両に走って、またリストを見て...インド的混沌の世界でした。
その列車は結局4時間ほど遅れてやったきたのですが、その時には何度も何度も走り回って、くたびれ果ててしまいました。
列車に乗って席を探すと、誰かが座っています。他の空席どころか、列車の窓にも屋根にも人がいるし、荷物棚にまで人が乗っているという超満員のなかで、ベンガル人独特の怖い顔をした人物に席の明け渡しを要求するのは勇気がいりました。
長旅ですので、誰もが素焼きの水瓶に水道水を入れて持ち歩いており、弁当になるチャパティーやサモサなどを持参しておりました。各号車が仕切られているインドの列車では、飲食物を車内販売するカートは回ってこないのでした。
ザキルはこの逆のルート(下り列車)で、ベナレスよりもカルカッタ寄りにあるパトナに向かったわけです。タブラがだめにならないようにひざに乗せて、夜行列車でうたた寝しながら一晩乗り続け、その足で演奏会。
厳しい話です。13歳のSchoolboy が一人前の男として自立していったのです。
そう思ってこの演奏を聴くと、別種の感慨を禁じえません。

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