ヘッダーを模様替えしました。
映画『エデンの東』から、ジェームス・ディーンです。
元祖「反逆のカリスマ」ですが、この映画や「ジャイアント」で彼が演じていたのは、反逆ではなく「自立していく男」です。反逆とは、自立していく過程で起こる現象なのです。
「エデンの東」のメインキャストは3人の思春期の若者。
双子の兄弟のアレンとキャル、そしてアレンの恋人アブラ。
厳格で保守的な父の期待を一身に受ける兄のアレンは、子供のような純粋さを持つ「よい子」だが、その内面は父親譲りの頑固さ、勇敢さを持ち、相手の気持ちをあまり考えないタイプだった。
自由奔放で父から疎んじられている弟のキャル(ジェームス・ディーン)は、ひねくれ者で粗暴だと見なされているが、本当は繊細で、ワルぶって自分のこころを守っている。父の愛情を求めながらその期待とは裏腹なことをやっては、傷つきながら成長する。
誰からも愛されるアブラは、彼女を我がものとする母との確執に苦しむ。自分の部屋も着るものも、何もかも母に仕切られて、深窓のお嬢さんとして育てられているが、芯の強さを持っており、自我を確立して大人の女になっていく。
二人の兄弟の陰影は、アブラという女性によって、鮮やかに浮き彫りにされます。
彼女は、昔失踪して今は売春宿の主となっている二人の母親ケイト(原作ではキャシー)と、光と陰の関係となっているのです。
アロン
「まるで、綿に包み込まれた鳥の卵のような感じがした。この綿は、父親が自分に託している夢だ。
柔らかく、だが止むことなく締め付けてくるこの力。それを破り、逃れる強さが、果たして自分にあるのだろうか?」
親からすると「よい子」のアロンだが、父の期待と愛情を「真綿で締め付けられるようだ」と感じているわけです。
そして、周囲が望むように、アブラにプロポーズして、婚約関係になる。
アロン17歳、アブラはもうすぐ15歳。
18歳で軍隊に入ることができる大人と見なされる時代でした。
アロンは父の望み通り大学に入り、親元を離れる。
「アロンは新しい夢を熱心に飾り立てた。アブラこそ新しい夢の中核になった。アロンはアブラを創造し、その新しいアブラに恋をした。
アブラはアロンの意識の中で、次第に輝きを増し、純粋になり、美しくなった。
書き上がった手紙は、恋慕の情が滴り落ちるようなラブレターだったが、そのトーンの高さがアブラを不安にした」
アブラとリー(アロンのトラスク家の執事)の会話
「アロンは私のことなんて考えてない。頭に架空の女がいて、それに私のイメージをダブらせているだけ。
私は違う。そんな作り物の女じゃない。
あの人が欲しいのは、真っ白な幻想の女よ」(幻想の女:原書ではghost=幽霊)
アロンは空想の中で母を理想化しており、その理想像にアブラを重ね合わせていた。
「あなたはそれを、そっくり突っ返す方法はないかと思っている...」
「ええ」
「突っ返されて、アロンがあなたを好きでなくなったら?」
「賭けね。それでも、私は自分自身でありたい」
そのアロンはピーターパンシンドロームのただ中にある。
大人になりきれない。彼は宗教世界に傾倒していき、牧師になると言い出して、二人の関係を破壊してしまう。
そんなことが背景にあって、アブラは傷つきながら自立していくキャルに自分の話を聞かせるのであった。
アブラ
「ある時...そんな昔じゃない...、私は突然成長していき、小さな女の子じゃなくなった...。
(I'm very grown up ! と何度も繰り返しています。)
その時から、私はもうアロンを愛していなくなった...。
アロンは、子供の世界にしがみついて、現実の方をメチャメチャにする。
(中略)
私、自由になった気がする。
なんだか、あなたが好きになったみたいよ、キャル」
以上は原作の方からのピックアップですが、下の場面では後半の台詞は出てきません。
画面では、アブラがキャルと同じような経験を経て、自分は大人になったという話をしているところです。
アレンは、メキシコ女と付き合ったり、行ってはいけないところに出入りしていることを、「大人になった」アブラは、「ワルね」と軽くいなしています。
もはや無辜の少女ではないという姿をさらりと描写しているわけです。
この二人の会話の場面です。
アブラが自分の過去の苦悩を話し始めたとき、キャルは急に真面目な顔をして、
「なぜ、そんなことを、この僕に話すの?」と言い、アブラは「どうしても、話しておきたいの」と、応えます。
この後、二人のこころに絆が生まれていきます。
自分の本当の内面を、不足なく相手に伝えていかないと、信頼感というものは生まれてきませんね。
実は、キャルは亡くなったと教えられていた実の母ケイトが、港町モントレーで風俗営業店の女主となっていることを知り、会いに行ってけんもほろろに追い返されて、ショックを受けていたのです。
実母ケイトはアレンの方を愛していて、自殺した後の全財産をアレンに相続させるという続きがあるのですが...。堕胎、殺人、自殺というケイトの行動は、キリスト教の価値観を根底から否定する悪の象徴です。
そして、キャルは兄が母親似であることを知り、なぜ父のアダム・トラスクがアレンばかりを愛しているのか分かる気持ちがする。これは精神的に未熟なキャルのひがみなのですが。
そんなキャルの魂を救い出そうとするのがアブラなのです。
ドストエフスキーの『罪と罰』でラスコールニコフの魂を救済するソーニャを、
ジョン・スタインベックは、ケイトとアブラという二人の対照的な人物に分けて託し、ごく普通のあり得る人物として描いたのではないだろうか。
ケイトもアブラも、アメリカ社会ではあり得る人。
徹底した聖と穢れをあわせ持つソーニャは、「あり得ない人」であるからだ。
それはさておき、アブラは15歳前だというのに、精神的に自立した女に成長している。『風と共に去りぬ』のスカーレットになりうる強い女性ですね。
対照的に、アレンはピーターパンのまま、自分を見失って、年齢を偽って志願兵となり戦死する。宗教的な理由で自殺はできないので、戦死する道を進んだわけです。
小説の終わりのほうで、アブラはキャルに子どもと大人の違いを話します。
「子どもって、いつも自分が中心でしょう?すべてが自分のために起こってくれる。自分以外の人間なんて、話し相手として用意された人形だと思っている。(人形:原書ではghost=幽霊)
でも大人になると、他人の間に自分の居場所ができて、自分の大きさができて、形ができる。こっちから出て行くものもあるし、ほかの人から入ってくるものもある」
母に捨てられ、父に拒否されてきたキャルのこころを、15歳のアブラが救うのです。
キャルは、自分の愚行により兄を戦死させ、父にショックを与えて死に追いやり、もがきながらも男として自立していく。彼は罪の意識から現実逃避をはかろうとするが、アブラは、
「逃げ出していく人と、付き合うことはできないわ」と、厳しく言います。そして、
「お父様のところに戻りましょう」と諭す。
キャルは執事のリーに「アブラに連れ戻されたよ」と言いますが、アブラは毅然として、
「私がいなくても、キャルは自分から戻ったわ」と言う。
アブラによって、キャルが一人前の男になった瞬間だと思います。
臨終の場面で、父のアダム・トラスクはこの息子を許したのか、許さなかったのか。
父子の絆は切れていなかったことを暗示して、物語は終わる。
キリスト教的世界観が深く関わってきますので、私の受け取り方とアメリカ人の受け取り方は違う部分があるかと思いますが、男の子が一人前の大人になっていくためには、極端にいえば父親の死を土台にしていくほどの心構えがいるのだよ、という本質的な厳しさが示されていると思います。
(以下続く)
コメントする