少女セシルが女に変わるとき

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 石川ひとみのLPの歌詞を整理していて、三浦徳子の歌詞に引きつけられました。
 わたし的にものすごくリアリティーを感じる表現となっており、エスプリの効いた詩です。

 「雨に誘われて」というメタファーですが、一歩踏み出すという感覚でしょうか。
 清水の舞台から飛び降りるというほどのことではなく、一歩踏み出して、雨に打たれる。

 雨とは、文字通り「濡れ場」の意象を持ち、穢れるというほどのことはなくただ濡れるだけ。
 この言葉で、少女セシルが少女ではなく大人の女に変わるシーン的な切り替えを表象しています。

 その歌詞とは、...
 【雨に誘われて】 (1978.12.21)LP「くるみ割り人形」
歌:石川ひとみ/作詞:三浦徳子/作曲・編曲:大村雅朗


男女コミュニケーションの限界」で素描した状況を、当の女性の側から書いたような歌詞だと言ってよいでしょう。

私は彼女に言うべき言葉を探して、もどかしい気持ちなのに黙り込んでしまった。

「ことばじゃなくて 見つめていてよ
 そしてその腕 のばして欲しい...」


しゃれた言葉を言う必要なんてない。
「熱く見つめてくれれば、分かるのよ」ということです。
でも、あの時彼女はうつむきながら訊ねてきたわけです。少しばかり古くさい日本的風情で良かったのですけど...

そして「その腕をのばして、(抱きしめて)欲しい。」

そのようにすんなりと行動するには、私の内面は屈折しすぎていて、できなかった。
また、彼女の気持ちも複雑なものがあったはず。

「夜に向かう心の中は
熱い息吹が 渦巻いているの」
...


彼女の瞳には妖しい光が浮かび、私の目をのぞき込みながら、電灯のプルスイッチの紐を引いた。
真っ暗闇の中、腕を伸ばせばその両肩を抱けるところに立っている...

「くちづけて 今ならいいわ
ためらうのは 明日にして
やさしさも 忘れていいわ」


好きだったけれども、まだ少女だと思っていた彼女の突然の行動に、私は動揺し後ずさりをした。「野性的」と揶揄されたことがあった手前、こころのブレーキが効いていたのでしょうか。

「あなたの顔が 蒼ざめてゆく
子供扱いしていたのでしょう
あとずさり それもいいけれど
ためらうのは 明日にして
やさしさは ひととき捨てて」


 まいったね。
 三浦徳子さんの描くセシル期の少女は、何故か過不足なくピッタリと当てはまってしまう。
 
 (歌詞だけ読むと、三浦徳子さんの世界は凛々しさがあって魅力があります。)

 「そういう優しさは 今のわたしにはいらないわ」
 ...セシルお嬢様はこういうことを、時折グサリと言う人だったな。

 子供扱いしていたのは、精神的に大人になりきれていない「未熟な男」の、身勝手な願望のなせる技なのでしょう。

 でも、現実の彼女はそんなことお構いなしに「大人の女」に変わりつつある。大学を卒業する頃でしたから、21歳から22歳。はっきりと結婚を意識しています。

 わたしが社会的に一人前になって結婚を考えるようになったのはそれから十数年後。
 わたしの方が1歳年上だったけれども、精神的には遙かに年下という感じがします。
 でも、現実には彼女を少女扱いしている、この行き違いは大きいものがあります。


 セシルは一夜で大人に変わるし、恋人や妻(という存在)は妊娠したとたんに母親に変身する。

 女房の尻に敷かれるというのは断じて排したいという私だけれども、女性に尻をたたかれるというのは子供の時からの「男の宿命」なのかもしれない。

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