「自己投影」と「トラウマ」の代償行為

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 私たちの人生、経験を糧に教訓を得るということが、ある意味で大人になることの大きな要素ですが、内省的に経験からプラスの教訓を学ぶことができず、トラウマになる人も少なくないように思う。
 
 トラウマ(trauma)とは、精神的なダメージが後々に、精神的な障害をもたらす(フロイト「精神分析入門」1917)ということで、精神的外傷というコンテキストで使われることが一般的なようですね。

 問題なのは、その精神的な障害がどのような形で現れるか、ということが本人にも自覚されない、あるいは他者には容易に理解しにくいということですね。

 そして、その障害の現れ方は実に多種多様、人それぞれだということですね。

 わたしは心理カウンセラーではありませんから、客観的な臨床例を挙げることができませんので、自分の体験に即して、話を進めていこうと思います。


 話は延々と続いてしまいそうですので、ここでは概論的な事を明示しておこうと思いますが、トラウマにどう対処していけばいいのかということを考えて欲しいということが基本路線です。

 過去の事実は、変えることはできませんが、その事実と自分の感情を直視し、分別して、解釈の仕方を変えるということは可能です。

 解釈の仕方を変えるためには、価値観を変えなければなりません。
 価値観が異なれば、自分の経験に対する理解あるいは受け入れ方も異なって当然ですね。
 その人にとっての、経験の意味合いが違ってくるわけです。


 アメリカ的なプラス思考というものも、価値観を変えることの一つに過ぎません。
 実は、マイナス思考でもかまわないものなのですね。
 要は、自分が心の底から納得できるものでないと、結局うまくはいかないものです。
 付け焼き刃の、「...のつもり」では、だめです。

 人間、修羅場を経験していないと根性がすわらない、とかいわれますけれど、にっちもさっちもいかないところに投げ出されでもしなければ、深くて重い実感をともなった思考に至るのは難しい、ということなのでしょう。

 以前に触れたかと思いますが、植木等の「スーダラ節」ですね、「分かっちゃいるけどやめられない」という歌詞。これは決してプラス思考とはいえないマイナスな思考のようです。
 けれども「やめられない、やめられない」と悩むよりは、「分かっちゃいるけどやめられない」というのが人間の本性なのだと理解すれば、それでイイじゃないかという気持ちになれる。

 自己の破滅に至るような [ マイナス3 ] の思考を [ マイナス1 ] くらいに変換できれば、自殺とかね、そういう事態には至らないようになる。心が少し軽くなるはずです。


 これをやっていくためには、正しい手順があって、

 (1) 価値観を変える→(2)過去の事実を直視する→(3) 解釈の仕方を変える→(4) 過去の経験を再構築する
 
 ...というプロセスを踏む必要があるだろうと思う。


 イヤなことは早く忘れたいというのはごく自然な心理であり、アドバイスをしてくれる身近な人も「早く忘れてしまいなさい」とかいいます。
 しかし、イヤな思いをそのままにして無理に忘れようとすると、潜在意識にイヤな感情だけが送り込まれて、様々な心理的適応障害のよな形でその後の人生に悪影響をもたらすものです。

 イヤなことを無理に忘れることは、そのような落とし穴に落ちることになるので、なによりもきっちりとケリをつけることが大切なことです。

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