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    <title>人間関係調整力</title>
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    <subtitle>他者（ひと）と共にある我（われ）
…を磨き、自分らしく生きる野の道</subtitle>
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    <title>歌謡曲にみる女性の心情　石川ひとみ『まちぶせ』</title>
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    <published>2008-10-07T09:31:55Z</published>
    <updated>2008-10-09T11:45:40Z</updated>

    <summary>　『手紙』をYouTube　で探していて、ふと石川ひとみさんの名前を見つけてしまいました。　彼女の隠れファンがたくさんいることを知り、ついつい　『まちぶせ』を10回も聴いてしまい、そのほかの映像も見ていて、深夜の２時過ぎになってしまいました...</summary>
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        <name>Yosinori Kobayashi</name>
        
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        <![CDATA[　『手紙』を<h3 class="r"><a href="http://www.youtube.com/watch?v=rYm9LOEi6bU" class="l" onmousedown="return clk(this.href,'','','res','1','')">YouTube</a></h3>　で探していて、ふと石川ひとみさんの名前を見つけてしまいました。<br /><br />　彼女の隠れファンがたくさんいることを知り、ついつい<br /><br /><a href="http://www.youtube.com/watch?v=rYm9LOEi6bU"><img src="http://img.youtube.com/vi/rYm9LOEi6bU/2.jpg" alt="" width="80" border="1" height="60" /></a>　『まちぶせ』を10回も聴いてしまい、そのほかの映像も見ていて、深夜の２時過ぎになってしまいました。そこで、急遽女性の歌詞版を書いたのですが...<br /> ]]>
        <![CDATA[　グーグルの検査結果をコピペしたら、画像とリンクもペッタンしていまいました。<br />　クリックしてみると、ページにリンクしていますので、そのままにしておきます。<br /><br />　<br />『まちぶせ』（作詞作曲：荒井由実）は女性の作詞ですので、前２作の男性作詞家の歌詞よりも、リアリティーがありますね。<br /><br />『冬のリビエラ』も『手紙』も、男女の関係を歌った歌詞ですが、相手の雰囲気が希薄な感じがします。<br />その点、『まちぶせ』は、相手との距離感が近く、息づかいが聞こえてきそうな肉感さえ感じさせます。<br /><br />　この違いはどこから来るのかと言いますと、男性作詞家の描いているものは相手の女性そのものではなく、相手に投影している理想の女性であり、荒井由美が描いているのは相手と自分との関係性そのものだから、なのだと思います。対幻想を描いている。<br /><br />　つまり、松本隆の『冬のリビエラ』も、なかにし礼の『手紙』も、自分の内面を自己表出性の高い表現で描いているのに対し、荒井由美は指示表出性の高い表現で二人の男女の関係性を描いているということになります。<br /><br />　これを文学的な用語で言いますと、前者はメタファーであり、荒井の歌は具象である、ということになるでしょう。『まちぶせ』は女性的な具体性を持っており、プロセスを重視する視点で描いている、ということです。<br /><br /><br />　「上手にかくした旅行鞄」も「外した指輪」も「酒の小瓶」も、その背後に多くの感情が象徴されています。<br /><br />　「まちぶせ」にはそのようなメタファーはありません。唯一、象徴的に使っているのが「あなた」という言葉ですが、これが「歌のヒロイン＝自分」が「愛しい男」を我がものとしている対幻想を表象しているのです。<br /><br />　これは男には分からない感覚なのだと思いますが、女性の対幻想の特質に遠近法がない、つまり距離感がないところがあります。下世話な言い方になりますが、女性は知り合うといきなりなれなれしくなる、という特質があるます。<br /><br />　知り合わなくとも、こころの中では「あなた」と呼ぶような心性を持っていますね。<br /><br />　ところが、往々にして男は相手に距離を置いて接しているものです。この違いはものすごく大きいものがあります。このようなことを理屈っぽく言っても、女性は理解しないかもしれません。一つ例を挙げてみましょう。<br /><br />　私の悪友（本当に悪い男ですが）に、自堕落で破滅型の男がいました。そんな男を好きになってしまった女性がいて、仲を取り持ったのですが...<br /><br />　お嬢様で名門ミッションスクールから進学してきた彼女と、酒の空き瓶に埋もれるようにして生活を送っている彼とでは、うまく行くはずがありません。<br /><br />　ある時三人で話をしている時、彼は彼女に向かって、「気に入らねえな、<span class="pink">この女</span>」と言ったのです。<br />　彼女が、飲み過ぎているからもうやめたら、と女房気取りで言ったのかと思います。<br /><br />　私はこいつほど無頼派ではないので、そのような言い方は絶対にしませんが、そのような一歩引いた感覚はよく分かります。しかし...<br /><br />　彼女はものすごいショックを受けたようです。「あなた」と思っている人から、「この女」と言われたのですから。<br /><br />　荒井由美はこの女性感覚を表現している、ということでしょう。順風の時は良いのですが逆風の時には一挙に二人の間に潜んでいた暗い深淵が見えてくるのです。<br /><br />　昔、よくあったエピソードで、彼女が編んでくれた手袋をうれしがって手にはめたりしたら、もう逃げられないぞ、という怖い童話がありました。怨念に絡め取られたということですね。「息づかいが聞こえてくるような肉感」といったのは、そのような感覚のことです。<br /><br /><br /><br />（本来ですと、ここで三角関係あるいは二股愛？の問題を論じたいところですが、息抜きの読み物ページのつもりですので、またの機会にしたいと思います。）<br /><br />　表現としてみると、『まちぶせ』はありふれたレベルのものですが、石川ひとみさんが歌ったことで、命が吹き込まれたという要素も大きいかと思います。<br /><br />　動画の黄色いドレスは、今でも目に焼き付いていますね。黄色いチューリップの妖精のような彼女が、野外舞台の袖で出番を待ちながら、客席の方をきょろきょろ見ている仕草がかわいらしかったです。<br /><br />　<br />]]>
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    <title>歌謡曲にみる男の心情(2) 由紀さおり『手紙』</title>
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    <published>2008-10-07T08:09:35Z</published>
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    <summary>　さすがに、この人は分かっているなと思います。　由紀さおり『手紙』　（作詞・なかにし礼）　男の作詞家が女性歌手の歌詞を作る場合、自分の理想とする女性を描くのだと思います。　ですから、そんな歌詞を女性が深く読めば、男が求めている「いい女」とい...</summary>
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        <category term="003 男女・夫婦関係の諸問題" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://e-book4u.info/">
        <![CDATA[　さすがに、この人は分かっているなと思います。<br /><br />　由紀さおり<a href="http://jp.youtube.com/watch?v=FoQHI3Cw3NQ">『手紙』</a>　（作詞・なかにし礼）<br /><br />　男の作詞家が女性歌手の歌詞を作る場合、自分の理想とする女性を描くのだと思います。<br /><br />　ですから、そんな歌詞を女性が深く読めば、男が求めている「いい女」というものがどんな女なのか分かってきますね。<br />]]>
        <![CDATA[　この歌詞のほとんどの部分は、女性の心情を歌っていますね。<br />　といっても、あくまでも男が考えた女性の気持ちかも知れませんが。<br /><br />　「死んでもあなたと暮らしていたいと、...」この部分だけかもしれません。<br /><br />　しかし、これに続く部分は女性的なリアリティーがほとんど感じられません。<br /><br />　「二人で育てた小鳥を逃がし、<br />　二人で描いたこの絵燃やしましょう」<br /><br />　小鳥をプレゼントしてくれたのはうれしかったけど、餌やりやフンのお掃除、水取っ替えなど、結局私が面倒見るんじゃない！　というのが、本当の話でしょう。<br /><br />　そして、二人で一枚の絵を描く、という話。ありそうだけれども、あり得ないでしょうね。<br />　いやしくも、絵を描くような人間は、自分の世界にものすごいこだわりを持っているものです。女房といえども、他人が筆を入れたものなど自分のものにあらず、という感覚があるはずです。<br /><br />　要するに、二人で?というフレーズは、二人が愛し合っていて、仲良くうまく行っていた時代を暗喩で表しているだけで、実際的な意味合いなどないのだと言ってよい。<br />　実感を表しているのではなく、象徴的に言い表しているということです。<br /><br /><br />　「何が悪いのか、今も分からない<br />　誰のせいなのか、今も分からない」<br /><br />　このような感想を果たして女性が持つのかどうか、非常に疑問です。<br />　もしあるとしたら、分かれる理由は「男の価値観を、女性が理解しない」という言い方でくくれるのではないかと思います。そしてそれは、「女の価値観を、男性が理解しない」ということでもあるのですが...。<br /><br /><br />　女性は本質的なところで、生活実感派つまりリアリストですから、あのときこういう事があって傷ついたとか、あんたのこういうところがたまらなく嫌だった、とかあるのが普通です。<br /><br />　男は、仕事の責任が年と共に増加して、家のことは女房任せ。妻がどんな思いをしているかは、よその世界のことのように感じている、という時期が必ずあるのです。そのような時期、男は頭の中が真っ白になるほど仕事に打ち込まねばならない。<br /><br />　これを経なければ、仕事の世界でものにならない、という宿命を男は担っている。それを避けて、家庭を大事にすれば、出世もない、収入も増えないグータラ亭主で、愚痴は言っても離婚はないけど、という話である。<br /><br />「何が悪いのか、分からない」といっているのは、女性の気持ちなんかではなくて、徹頭徹尾男が考える女性像の表現なのだと言えるでしょう。<br /><br /><br />　このような、決してリアルではない、「女性がプロセスを大事にする心情」を、思い入れを抑えて描くことで、なかにし礼もやはり精神的に自立した大人の女性像を浮き上がらせています。<br /><br />　作詞家のバランス感覚というか、力量が如実に表れていると思います。<br /><br />　そして、最後にひとこと<br /><br />　「<span class="pink">あしたの私を、気遣うことより、<br />&nbsp;　あなたの未来を、見つめて欲しいの...</span>」<br /><br />　と、さらりと言わせています。<br /><br />　女性に言わせれば、とんでもない！　慰謝料と、子供の養育費（もし、いれば）、住む所をどうしてくれるのよ。私の人生を返して...という気持ちになるでしょう。<br /><br />　もちろん、それは行間にかかれていない部分ですが。<br /><br /><br />&nbsp;　このエンディングは、<br /><br />　男のものの考え方は「目的志向」である、ということを<u>分かっている女性</u>として、そして自分は<u>自立した女</u>であるという「女の品格」を、この２行で鮮やかに宣言しているわけです。<br /><br />　そして、「自分という人間が精神的に自立しているからこそ、あなたへの<u>本当の思いやりが出来る</u>のです」と、母親的なあるいは聖母的な愛情を裡に秘め、男を一人前の男になれと背中を押している、という<u>矜持の姿勢</u>をも示している。<br /><br />　そして、そして、やはり女だから泣いてしまう。本当はあなたに、心の支えになって欲しいの...、という余情がありますね。<br /><br /><br />　「<span class="pink">あしたの私を、気遣うことより、<br />&nbsp;　あなたの未来を、見つめて欲しいの...</span>」<br /><br />　こんな事を言える女性が果たしているのか、歌謡曲だからじゃないの、ということになってしまうのですが...<br /><br /><br />　もし、いたとすれば、<br />　よりを戻してしまう決め言葉になってしまうかもしれません。<br /><br />　この歌を改めて聴いていて、思わず「そう、それよ！」<b>そこを分かってくれるなら、分かれる理由はない</b>、という思いを懐きました。<br /><br />　そのようなことを分かっている女性とならば、お別れの手紙を書く事態にはならないのだと、男としては思えるのです。<br /><br />この歌は「冬のリビエラ」とは異なって、女性の歌なのですが、実は女性を描いているのではなく、「女よ、こうあってくれ」という、ある意味で身勝手な願望を投影しているわけですね。<br /><br />　男ってやつは！<br /><br /><br /><br />　<br />]]>
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    <title>歌謡曲にみる男の心情(1) 冬のリビエラ</title>
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    <published>2008-10-07T06:56:58Z</published>
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        <![CDATA[<p>　少し硬い話をまとめてアップしましたので、今回はブログっぽく楽に書きます。<br /><br />　私は男ですので、男性作詞家が書いた歌詞に共鳴を覚えるものが多く、女性作詞家の歌詞ではグッとくるものはあまりありません。<br /><br />＞男というのは、精神的に動揺したり、こころに傷を負ったりすると、黙りこくってしまいます。<br />＞自分の殻に閉じこもって、本来の自分を取り戻そうとするのです。<br /><br />　と書いていて、森進一の『<a href="http://homepage3.nifty.com/sinbunyadou/midi/room3/riviera_b.htm">冬のリビエラ</a>』<span style="font-family: &quot;ＭＳ ゴシック&quot;;">（作詞：松本　隆）</span>を思い出しました。<br /><br />　<br /> </p>]]>
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<![endif]-->　「冬のリヴィエラ、男ってやつは、港を出て行く船のようだね。</p><p>　哀しけりゃ、哀しいほど、黙り込むもんだね」 <br /><br /><br />　男性は殻（自分の世界）に引きこもる時間が必要なのです。黙って放っておいて欲しい...と。<br /><br />　この事をほとんどの女性は分からない。</p><p>　分かっていないし、教えられていない。</p><p>...ですから、「自分を無視する」などという、誤解をしたりするのです。</p><p><span style="font-family: &quot;ＭＳ ゴシック&quot;;"><br /></span><br />　彼は「少し黙って放っておいてくれないか...」と身振りの言語で表現しているのですね。<br /><br />　このような時、男同士では通じ合うので、親でもそっとしておきます。</p><p>　「何で黙っているのよ！」などと口うるさく迫るのは、タブーなのです。</p><p><br /></p><p>　ですから、男ってやつは、こんな願望を密かに持っています。<br /><br /><span style="font-family: &quot;ＭＳ ゴシック&quot;;"><span lang="EN-US"></span></span><br />「彼女は俺には過ぎた女さ　別れの気配をちゃんと読んでて</p><p>　上手にかくした旅行鞄に<br />　外した指輪と酒の小瓶さ」<br /><br /><br />　男は、子供になって母親的な愛情を欲しくなります。静かに優しくいて欲しい。<br /><br /><span class="pink">　外した指輪</span>...男との別れを修羅場にしない潔いあきらめと、自立した大人の女の姿勢</p><p><span class="pink">　酒の小瓶</span>...黙って男を送り出す母性的な愛情表現<br /><br />　こんな女性は現実にはいないでしょうね。男の、叶わない願望かもしれません。</p><p>　もし、いたなら「（でき）過ぎた女さ」と言われる、ということですね。</p><p>　そんな女性なら、男って奴は、２度惚れ、３度惚れ、</p><p>　必ずまた、舞い戻ってきてしまうでしょう。</p><p><br /></p><p>　<br /></p><p><br /></p><p>　<br /><span style="font-size: 10.5pt; font-family: &quot;ＭＳ ゴシック&quot;;"></span></p>]]>
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    <title>学校教育と男女交際(13)グローバル化時代の教育</title>
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    <published>2008-10-06T04:10:14Z</published>
    <updated>2008-10-12T06:41:55Z</updated>

    <summary>グローバル化時代の教育 　社会というのは常に変化しています。　歴史的に見て、現在の日本は女性原理社会へとパラダイムをシフトしつつあります。これは歴史的に見られる周期的な変化の一環だと思います。　古来、狩猟採取の縄文時代は男性原理社会、農耕が...</summary>
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    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://e-book4u.info/">
        <![CDATA[<h3>グローバル化時代の教育</h3> 　社会というのは常に変化しています。<br /><br />　歴史的に見て、現在の日本は女性原理社会へとパラダイムをシフトしつつあります。これは歴史<br />的に見られる周期的な変化の一環だと思います。<br /><br />　古来、狩猟採取の縄文時代は男性原理社会、農耕が定着した弥生時代は女性社会、大和朝廷が成立して男性社会となり、平和が続いた平安時代前後は女性社会、戦争の多かった武家政権時代は男性社会、徳川中後期時代は安定した全国統一が固定した女性社会、幕末から明治は男社会、大正から昭和初期は女性社会、そして太平洋戦争前後までは男性社会、戦後教育が一巡して女性の社会進出が進み女性社会へと変わりつつある、という流れがあります。<br /><br />]]>
        <![CDATA[（この流れは決して単純ではなく、大きなうねりの中に小さなうねりがあり、更にその中にうねり<br />があるという複合的構造をしています。）<br /><br /><br />　今の日本人に何故精神年齢が低い大人子供が多いのかというと、根底に女性原理が優位な社会になりつつあるという状況があるからです。<br /><br />　男性社会の象徴的な社会現象は戦争（集中）であり、女性社会の象徴的な現象は平和（ぼけ）、だ<br />と思います。<br /><br />　平和であることは喜ばしいことですが、共同規範の男性原理が軽視され、精神的に未熟な大人が<br />どんどん増えている現状には、警鐘を鳴らす必要があると思います。<br /><br />　今日のように世界規模でグローバル化が進んだ結果、経済戦争や文化の衝突といった、武力を伴<br />わない戦争が全世界で起こっています。<br />　たとえば、ドングリの横並びで明確な事業戦略を持っていなかった我が国のゴルフ場は、強大な資本と、明確な事業戦略を持った外資に、あっという間に席巻されてしまいました。<br /><br />　たまたま、私が関係していたゴルフ場も、親会社ごと20ゴルフ場が買収され、不採算ゴルフ場は廃止、再生ゴルフ場は予算を半分に切られ、収益を130％に増やすという徹底的な合理化経営を指示されました。<br /><br />　幸運にもこの外資が買収したゴルフ場の、新予算を策定するスタッフの一人になった私は、欧米流のキャッシュフロー経営の実際を調べることができて、そのドラスティックな事業戦略を分析することが出来ました。<br /><br />　国際的なビジネス戦争では、アングロサクソンにならないと勝てない、という声があります。<br />　アングロサクソンになるということは、徹底的な論理思考を持ち、明確な事業戦略を構築できる能力を持つということです。<br />　<br />　彼らは、収益をいくら上げる、ということを最初に設定して、この目標から逆算して、集客数に限度のある施設サービス業の限界に近い売り上げ目標を掲げ、不採算要因となる人件費を限界まで圧縮する。つまり、冷酷にレイオフをします。人員が減ればサービス品質が落ちますが、サービスの内容を細かく規定して、やるべき事・やらない事を明確にします。<br /><br />　徹底的な目的志向ですね。<br /><br />　爪楊枝一本のコストまで、細大漏らさず予算化していくドラスティックな手法は、ほとんどの日本人がお手上げ状態でした。しかし、出来なければ辞めてもらうだけ、というのがグローバルスタンダードな論理なのです。<br /><br />　これは大都会の話ではないのです。この町でも隣町でも起きている現実なのです。<br /><br />　先日、ミスインターナショナルのコーチの女性を取り上げた番組を見ました。日本人女性に歩き方の指導をしていて、どうしても上達しない一人に「あなたは、これだけ時間をかけて教えているのに上達しない。なぜ？」と厳しく問いつめました。<br /><br />　その女性は思わず泣き出します。すると、女性コーチは、<br />「何故、泣くわけ？」「泣くことで、何かが良くなるの？」と、ビシビシと指導していきます。<br /><br />　日本人的な甘い考えを、欧米人はしません。男社会の論理を徹底して身につけた大人です。<br />　まさに、経済戦争や文化の衝突といった、武力を伴わない戦争が起こっているのです。<br /><br />　その現実が、日に日に目の前に迫ってきています。<br /><br />　ふやけた男にわがまま女、という大人子供を世の中に送り出していては、日が沈みますよという警鐘を鳴らさねばいけないでしょう。<br /><br /><br />　ドラスティックな論理思考と、男性原理である目的志向を女生徒にも指導すべきです。<br />　公立高校が生徒の問題にどこまで踏み込めるか、どこまで指導するか、は難しい問題だと思いますが、線引きなど本来必要ないと思います。<br /><br />　学校は社会の縮図ですから、いろいろな問題が起こります。起こることを前提として、未熟な生徒たちの失敗を「学ぶ機会・教える機会」と捉えて、失敗の原因を明らかにする。<br /><br />　そして、問題を考えるための原理原則を明確に示してやらなければ、文科省が言う「自己教育力」<br />など、育つものではない、と思います。言葉ありて、実体なし、です。<br /><br />　<br />　正しく方向性を示すことができないまま、社会に送り出すことは無責任でしょう。<br /><br /><br />　「はなむけ」という昔の言葉は、旅立つ人が乗っている馬の手綱をとって、旅先への道を向かせ<br />る（鼻向け）ということですね。<br /><br />　<br />　今の世の中がどうなっているのかを見極めて、十年一日の形骸化した指導ではなく、今求められ<br />ていることは何か、を考えなければ学校は生徒たちに「はなむけ」など出来ないのではないですか？<br /><br /><br />]]>
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    <title>学校教育と男女交際(12)成熟と自立への諸問題</title>
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    <published>2008-10-06T03:38:09Z</published>
    <updated>2008-10-12T06:36:13Z</updated>

    <summary>成熟と自立への諸問題 　一週間後、出席停止処分の解除式が行われました。　処分申し渡しを、解除に差し替えた、同じ形式のものです。　式そのものは形式を整えるためのものですので、改めて言うべき事はありません。　ただ、先生方のお話で、２、３触れてお...</summary>
    <author>
        <name>Yosinori Kobayashi</name>
        
    </author>
    
    
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        <![CDATA[<h3>成熟と自立への諸問題</h3>
　一週間後、出席停止処分の解除式が行われました。<br /><br />　処分申し渡しを、解除に差し替えた、同じ形式のものです。<br />　式そのものは形式を整えるためのものですので、改めて言うべき事はありません。<br /><br />　ただ、先生方のお話で、２、３触れておかねばいけないかなと思うことがありますので、簡単に記しておきます。]]>
        <![CDATA[<p>　<font style="font-size: 1.25em;">女性学年主任である先生のお話</font><br /><br />　先生は、<br />「話を聞いて、＊＊（息子の名）が学業・部活そしてアルバイトと一所懸命頑張って、彼女のこともあっていっぱいいっぱいだった、ということも分かった」<br />　...と、息子なりに一所懸命頑張っていることに理解を示し、<br /><br />「彼にとって、一番大事な人はだれなの？」と尋ねたところ、<br />「母が亡くなった後、男手で育ててくれた父です」と息子は答えた。<br />「その答えを聞いて、彼はもう大丈夫だと思いました」<br />　と、お話をしました。<br /><br /><br />　母親でしたら、ここで涙する場面かもしれません。<br />　でも母親はいませんので、できの悪い学園ドラマになることはありませんでした。<br /><br />　厳しさ一点張りの父親に対して、彼の気持ちを代弁された配慮はありがたく受け止めましたが、教育としては問題があるなと思います。それを指摘したら座の空気が凍り付くので控えました。<br /><br />　第一点は、同列に出来ないものを、比較させる質問です。<br /><br />　私も、子供の頃に母親から「お母さんとお父さんと、どっちが好き」と聞かれて、返事に窮して<br />「どっちも」と答えた記憶があります。<br /><br />　えてして女性は「私と仕事と、どっちが大事なの？」とか、「私よりも、（趣味の類）車の方が大事なの！」という物言いをします。<br /><br />　しかし、家にいれば親兄弟が大事であり、学校にいれば友達や先生が大事であり、彼女といれば<br />彼女が大事だというのが、自然な人間関係の有り様ではないですか。<br /><br />　意識の位相が違うのです。<br /><br />　息子はできの悪い頭で、彼なりの模範解答を言っただけの話でしょうね。もともと、回答できない質問をされているのですから「相手が望んでいるであろう回答を口に出した」だけでしょう。<br /><br /><br />　第二点は、「大丈夫」とはどのような事が大丈夫だと言っているのか？<br />　第三点は、何を以って大丈夫だとするのか、その根拠です。<br /><br />　１．息子は、学校で彼女を「平手打ち」したことを咎められているわけです。<br />　２．そして、まずかったと反省している時に、<br />　　先生から回答できない質問をされて「父が一番大事」と答えるのが良いと思い、そう言った。<br />　３．それで、先生は「もう大丈夫」だと。<br /><br /><br />　１．２．３．の間には、論理的な脈絡はありません。大丈夫だという根拠も存在しない。<br />　けれども、女性の指導主任である先生の頭の中では、きちんとつながっているということです。<br /><br />　それは、先生が了解しているのは、論理ではなく感情的な脈絡だからです。論理的に飛躍している部分を、感情的脈絡でつないで、頭の中では整合性を保っているわけです。<br /><br /><br />　ですがはっきり言いまして、指導主任と息子とはコミュニケーションが成り立っていませんし、また私とのコミュニケーションも成立していませんね。共通の認識がなされていない。<br /><br /><br />　これは、問題がありますよね？<br /><br />　指導主任の話を正しく理解するためには、言葉の裏に潜んでいる感情的意味を想像して理解しな<br />いといけない。<br /><br />　私が想像するに、<br /><br />「彼は精神的に追い込まれて、疲れ、いっぱいいっぱいで、他者の気持ちを理解し受け止めることが出来ず、こんな事件を起こしたけれど、今は十分反省もし、気持ちも落ち着いてきて、いろいろ支援の手を差し伸べた先生方に感謝する気持ちも芽生え、さらには息子を案ずる父親の気持ちにも感謝することが出来るようになったので、精神的に一歩大人になることが出来て、二度とこのようなことを起こすことはないでしょう」<br /><br />　...というような感情的了解があるのかと思います。<br />　しかし、それが的確に言葉になっていないのです。<br />　<br />　<br />　私たちは人間関係の中で生きていく上で、<br />　自分の内面を他者に過不足なく伝えていかねばなりません。<br />　胸の内を見せなければ、心が通じ合う関係は決して生まれません。<br /><br />　伝わっていないことは、相手にとっては存在していないことと同じなのです。<br />　ですから、自分の思いを相手に伝えることではじめて他者とつながることができる。<br /><br />　女性の言葉は感情がらみですので、その裏にある感情的な脈絡も把握しないと、何も理解したこ<br />とにはなりません。男性が身につけなければいけないコミュニケーション能力なのです。<br /><br />　しかし、これは「二人の世界」やその発展形である家庭では良くとも、共同規範意識の世界では<br />いけないですね。<br /><br />　言葉には、「自己表出」と「指示表出」という相反する２つの要素があります。<br /><br /><br /></p><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="gengo.gif" src="http://e-book4u.info/gazou01/gengo.gif" class="mt-image-center" style="margin: 0pt auto 20px; text-align: center; display: block;" width="395" height="251" /></span>&nbsp;<br />　女性・性の言葉は自己表出性が強く、男性・性の言葉は指示表出性が強い、という特性がありま<br />す。<br /><br />　共同規範という男性原理の社会では、指示表出つまり辞書的な意味で論理思考をしなければ、そ<br />の存立が基本的に成り立ちません。組織は常に、指示・命令系統で成り立っているのです。<br /><br />　仲良しクラブでは組織が腐ってしまいます。<br /><br />　一つ一つ、言葉の裏の意味を想像し解釈しなければいけないとなると、想像や解釈が間違ってい<br />ればその間違った方向に物事が進んでしまいます。そのような要素は基本的に排除すべきものです。<br /><br /><br />「指導主任の先生と、女子生徒とは、実に同じ思考原理でものを考えている、ということを認識し<br />ないといけないでしょうね。<br /><br />　考えなければいけない教育的課題を持っているのではないですか？<br /><br /><br />　そして、第四の問題点は、このできの悪い回答で「良し」としていることです。<br />　<br />　私ならば、彼に「自分」という回答を期待します。<br /><br />　それはあまりにも自己中ではないかと考えられるかもしれませんが、話には続きがあります。<br /><br />　このような場合、一般的に言うのは「もっと自分を大切にしなさい。君を一番心配して見守って<br />いるのはお父さん・お母さんなんだよ」という決まり文句ですね。<br /><br />　自分というものと、お父さん・お母さんというのは、意識の位相が違う話ですので、母性原理と<br />父性原理はいかに異なるかということを、述べてみたいと思います。　<br /><br /><br />　<font style="font-size: 1.25em;">カウンセリング的アプローチ</font><br /><br />　生徒の気持ち・考えを深く知るためには、話を聞くスキルが必要です。<br /><br />　先生は指導的対話の中で、相手の話に耳を傾ける時に、自分の意見を差しはさんではいけません。<br />　相手の答えを引き取って、さらに質問でフォローしてください。<br /><br />「誰でも、自分が一番かわいいよね。それで、君が言う自分というのは、どういう自分なのかな？」<br />というふうに話を続けます。<br /><br />　答えにくい場合は、「君は、自分のことをどういう人だと思っているのか、とりあえず10以上思<br />いつく限り書き出してくれないか」といって、書き出してもらいます。<br /><br />　それに基づいて、先に述べたような自己認識の偏りを浮かび上がらせて、その偏りの原因となっ<br />ているものの考え方、感情の表し方・受け止めかた、というものを浮かび上がらせていくわけです。<br /><br />　これが、相手の本当の気持ちを引き出し、それを確認させ、更に深く考えさせていくカウンセリ<br />ングの方法です。<br /><br /><br />　<font style="font-size: 1.25em;">人間関係の原点は自分</font><br /><br />　何度も繰り返しますが...<br />　人間関係の原点は自分なのです。<br /><br />　その自分をありのままに見つめ、<br />　ありのままの自分を受け入れ、肯定して、<br />　ありのままの自分を好きになり、<br />　ありのままの自分を外に向かって表現していく<br /><br />　この「自分」という原点が確立しないと、良好な人間関係は始まらないのです。<br /><br />　私としては「そんな良い子ぶった答えはいらない。<span class="pink">何よりもまず自分を確立していかないと、本<br />当に相手を思いやる気持ちも確かなものにならない</span>よ」というふうに、答えたかったのですが...。<br /><br />　先生の、母性原理的思いやりを尊重して、何も申し上げませんでした。<br /><br />　父に感謝する思いは元々大丈夫であって、ダメであるところは、相変わらずダメということです。<br /><br /><br />　<font style="font-size: 1.25em;">男性原理、女性原理</font><br /><br />　誤解のないように補足的な説明を挟んでおきましょう。<br />　<br />　先生が息子に問うた「今、何が（誰が）大事」という価値観ですが、これは女性・性のものの考<br />え方です。女性はプロセスを重視します。今の自分の思い・感情を大切にします。<br />　一所懸命やっている、ということを評価出来るのは、そのような価値観・ものの考え方が基本に<br />なっているからです。<br /><br />　一方、息子は男性・性のものの考え方しかできませんので、「今何が大事」というような考え方を<br />基本的にしません。男性・性のものの考え方は目的志向ですから、結果を得ることに関心が行って<br />いる。<br />　女生徒との感情的な行き違いも、この点にあるわけです。<br /><br /><br />　世の中は基本的に男性原理で成り立っており、そこでは結果が大事なのです。いくら努力しても、<br />結果を出せなければ高い評価をされない、というのが社会の現実です。<br /><br /><br />　オリンピック男子100メートルで、世界新を出したウサイン・ボルト選手と、準決勝にも進めな<br />かった朝原宣治選手とでは、どちらが一所懸命努力したかと言えば、間違いなく20年間夢を追い続けた朝原選手です。<br /><br />　しかし、手抜きで走っても結果を出したボルト選手は金メダルの栄誉を受け、莫大な報奨金と名<br />誉と、社会的地位を獲得できました。<br /><br />　私が指摘した「自分という原点が確立しないと、良好な人間関係は始まらない」という考え方は、<br />目的志向の考え方だということなのです。<b>自分が大事ではなく、自分を確立せよ、ということ</b>です。<br /><br />　一所懸命やることを評価するのは、人間教育では必要なことですが、社会に送り出そうという段<br />階での指導としては足りないのではないか、と申し上げているのです。<br /><br />　今回の件で、私が真っ先に思ったことは、大事の前の小事で足をすくわれた、ということです。<br />　最初の就職というのは、その人の一生を左右する最重要事です。私はそのことを息子に再三言っ<br />て、遊んでばかりいる彼にプレッシャーを与えました。<br />　<br />　短期決戦では、やる気を待つより、「やらせられ気」で動かすことがものを言うからです。<br /><br /><br />　一方、女生徒はまさに「今の自分の思い・感情」が大事、という女性・性の考えで、彼の人生最<br />初の重大事である試練があと三日後という時に、彼を引きずり倒す行為をしました。<br /><br />　息子は出席停止処分をうけ、何人もの先生方の説教をうけて、精神的に萎縮してしまいました。<br />　話す言葉も小さく、生気がなく、書く文字も筆圧が弱く、表情も抑鬱症状を呈している。<br /><br />　このような時は「がんばれ」と言っても、何も感じ取れないので、明日は試験なのだから、早く<br />寝ろ、としか言いようがありません。<br /><br />　何とも、何を第一にしなければいけないか、という点が分かっていない人ばかりではないですか。<br /><br /><span class="mt-enclosure mt-enclosure-image" style="display: inline;"><img alt="4matrix.jpg" src="http://e-book4u.info/gazou01/4matrix.jpg" class="mt-image-center" style="margin: 0pt auto 20px; text-align: center; display: block;" width="520" height="246" /></span>　私は息子に、１の事象を最優先して、４を捨てろ。何者かであろうとするなら、２も３もホカしてしまえ。でなければ、何事も大成しない、と話をしています。<br />　男性原理の典型的な表現は、戦時中の「欲しがりません！勝つまでは」というスローガンですね。<br />　これは、典型的な目的志向の表現だと思います。<br /><br /><br />　しかし、多くの女性は男性原理というものをあまり理解していないから、問題になる。<br />　ここでは、目的志向というものが分かっていないから、やるべき事の優先順位も分かっていないという話です。<br />　女生徒の場合は、「私ごと」＝第２事象を最優先して、携帯電話＝第３事象を用い息子の時間を奪い、彼の最重要緊急事項である就職試験＝第１事象を阻害した、ということになります。<br /><br />　学校は生徒を教育して、進路指導を行い、進学・就職へと送り出しますが、その集大成の一つとなる就職試験受験を、ぶち壊しにする行為です。<br />「今の感情が大事。欲しいものは、今、欲しい」という態度ですね。<br /><br /><br />　私はバカバカしいが学校の呼び出し＝第３事象で、急いでやらねばならない出版社の仕事＝第１事象を10日間も遅らせて、編集長との信頼関係を損ねてしまった。<br /><br /><br />　学校は、就職試験に対して教育的配慮をし、事情の調査と教育指導に２日間を割いて、試験終了<br />後に処分手続きに着手するべきだったのではないでしょうか。<br />　教育よりも、管理を優先している姿勢が、ここに現れています。<br />　<br />　<br />　多面的にものを見ることが出来る大人として、バランスのとれた目的志向を根本的に押さえておかなければ、筋が通らないし、整理がつかないでしょう。<br /><br /><br /><br /><font style="font-size: 1.25em;"><br />　社会に送り出すために必要なこと</font><br /><br />　次は息子の方の問題点です<br /><br />　母親がネグレクト（育児放棄）をした事情もあって、私は彼を育児の段階から母親代わりをしながら、当然父親としての役割も果たしてきていました。<br /><br />　姉と兄が「アホ＊＊」と彼を呼び、ことあるたびにバカ扱いすることを厳しく諫め、疎外されたり無視されるのを注意深く見守って、様々な母親的フォローをしてきました。<br />　食べ物一つをとっても、運動をしている息子に先に食べさせ、残ったものを私が食べるなどという、父親らしからぬことも普段にやっています。<br /><br />　ですから、親に感謝しているということは日々の生活の中で分かっているのです。<br /><br /><br />　ある時、晩酌をして寝込んだ後に、夜遅くにうるさくしている長男を叱り、親子喧嘩をしたことがあります。取っ組み合いながら言い争ったのですが、酔っていた私は後ろから長男に首を絞められて、身動きがとれない状態になりました。<br /><br />　その時、二男の彼が物音を聞いて駆けつけ、やめろと言って、長男を引きはがしにかかったのです。今度は、息子同士の喧嘩になりそうになりましたが、兄弟の中で一番権力を持っている長女が割って入って、殴り合いにはなりませんでした。<br /><br />　私は長男に「お前も力が強くなったな」と笑いかけました。<br />　力で父親に向かってきたのを、うれしく思ったのです。<br /><br />　また、二男である彼が長男とぶつかり合ったことも、心強く感じました。<br /><br />　この時私は、長男が独り立ちできるようになったかなと、ホッとしたのです。<br /><br /><br />　男の子は、一人前の男として精神的に成熟していくためには、父親のかざす父性原理と、いつか<br />は対峙して、それを乗り越える、あるいは通過していく課程を経なければいけないなのです。<br /><br />　この時、父親が強すぎると、息子は「よい子」のまま精神的に大人になれず、未熟な大人になる。<br />　父親が弱すぎれば、息子は「大人を見くびる」怖いもの知らずの無軌道な、やはり未熟な大人になる。<br /><br />　私の場合ですと、母親と対峙して「お母さんの言うとおりにはならない」と押し倒したのは小学５年の頃であり、母は「あの子に転がされた」と笑って、家族に話をしていたのを覚えています。<br />　父親とにらみ合ったのは高校１年でしたが、手に負えなかった父は警察を呼んだほどです。<br /><br /><br />　そのことがあって、私は母からも父からも精神的に独立し、老いて衰えていく親にいささかの憐憫の情と、親しみと、親というのは悲しいものだなというそれまでにない気持ちを持つようになったのです。<br /><br />　ですから、私は自分が親になって、息子たちが夕食のお膳をひっくり返すのはいつかな？と、心<br />して待っていたのです。<br />　それが、ようやくやってくれたかということで、ホッとした気持ちになったのです。<br />　言い争って父親が負けることはありえませんので、気合いと腕力で負けてやりたいと思っていた。<br /><br />　<br />　男の子の反抗の総仕上げですから、卒業式をこころの中で祝ったのです。それ以降、私は、長男<br />を大人として扱うようになりました。<br />　<br />　今回、学年主任の先生のお話をうかがって、いかんのではないかと思ったのはここの部分に関わ<br />る問題点です。<br /><br /><br />　まず、初めに誤認を指摘しておきたいと思います。<br /><br />　息子は「ありのままの事実」を認めたくないか、あるいは分かっていながら「人の同情を引くような言い逃れ」をしているのです。どちらの場合でも、問題ですね。<br /><br /><br />　学業と部活の他にアルバイトもやっているからいっぱいいっぱいだった、と言っていますが、実際のところ「疲れるほど遊びすぎた」というのが実態に近いですね。<br /><br />　普段は朝起こさないと起きないほどなのに、遊びに行く時は朝暗いうちから起き出して、準備をしたりするので、少しは家で休んでいたらどうなんだ、と言ったりしました。<br /><br />　会社で言えば、「PM５時から男で」、遊び疲れて本業がおろそかになっている、という話です。<br /><br /><br />　また、「人の同情を引くような言い訳」は、厳しくするとついつい出てくる彼の「甘えている」部分だなということは、以前から私も気づいていました。<br /><br />　これは、親に甘えることを知らずに育ったというタンハー（渇愛）から来ているのかと考えてい<br />ます。しかし、ダメなものはダメだと、教育したい。<br /><br /><br />　そして、問題だなと感じたのは「一番大事な人は父親」という発言...<br /><br />　父親の役割というのは、子供が社会に船出していけるように育てることなのです。<br /><br />　父親は社会の人間関係や社会規範そして厳しい競争というものを骨身にしみて身につけています<br />ので、そのような厳しさを乗り越えられるように育て、送り出したい。<br /><br />　ですから、自分と対峙して、乗り越えていくだけの膂力（りょりょく）を身につけて欲しいと願っている。自分の持っているすべての力を振り絞って、ぶつかって来いと待っているのです。<br /><br />　ぶつかり合えば、息子の膂力が分かるからです。喧嘩をすると、相手のレベルがわかる。<br />「膂力」というのは、様々な困難に出会っても、敢然とそれに立ち向かい、乗り越え、生き抜く、持てる全ての力、という意味です。「肉月」に「旅」ですから、旅する体力という意味です。<br /><br /><br /><br />　彼はあと半年で、社会人となります。<br /><br />　父親は彼に、もっと精神的に自立して欲しいと願っている。<br />　だから、甘ったれた根性をたたき直してやる、と突き放す。<br />　ぶつかってこいと、待っているのです。<br /><br /><br />　このような状況で、息子のあの言葉を聞いて、喜んでなんかいられない訳です。父親ですから。<br /><br />　親父の小言をありがたく思えるのは、10年､15年たって自分が父親になってからだということを、<br />父親は分かっています。男は目的志向ですから、そういうことを教えているのだと自覚しているわ<br />けです。<br /><br />　ですから、「父親が大事」などと聞かされては、「父親が望んでいるのはそんな事じゃないぞ」と<br />一発ど突きたくなるのです。<br /><br /><br />　細木数子さんは「女が男の子を育て上げることは出来ない」と言っていましたが、正しくは「母性原理で、男の子を一人前の男に育て上げることはできない」といった方が良いでしょう。<br /><br /><br />「男の子」が「一人前の男」になるためには、父性原理の通過儀式を乗り越えていかねばならないのです。それが、男の子が精神的に成熟し、自立した大人になっていくプロセスなのです。<br /><br />　この点に触れたのは、担任のＷ先生でした。<br /><br />「社会人になれば、大人の人との人間関係が多くなるのだから、（大人である）お父さんを避けないで、もっと話をして大人の考えを学ばないといけない」という話をされました。<br /><br />　厳密に言えば、大人ではなく父親です。母親では意味がないのです。<br /><br />　先生は、喧嘩をしたり、怒りをぶつけ合うことをいけないと指導する教師ですので、当たり障りのない言い方をしたのでしょうが、男性ですから父親の考えを持っているな、と思いました。<br />&nbsp;<br /><br />　ただし、一般論を静かに諭しただけでは、「よい子」を作ることは出来ても、「一人前の男」を育てることはできないでしょう。<br /><br />　社会人になる前に、父親と対峙して本音でぶつかり合う経験を通じて、父性原理の何たるかを知っておかないと、いけないでしょうね。社会というのは、男性原理の共同体ですから。<br /><br /><br />　何の免疫も持たずに社会人になって、上司とぶつかったりすると、困ることになります。<br /><br /><br />　<a href="http://e-book4u.info/2008/10/13.html">(13)グローバル化時代の教育</a>...に続く <br />　<br /><br /><meta http-equiv="Content-Type" content="text/html; charset=utf-8"><meta name="ProgId" content="Word.Document"><meta name="Generator" content="Microsoft Word 11"><meta name="Originator" content="Microsoft Word 11"><link rel="File-List" href="file:///C:%5CDOCUME%7E1%5COwner%5CLOCALS%7E1%5CTemp%5Cmsohtml1%5C03%5Cclip_filelist.xml"><!--[if gte mso 9]><xml>
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    <title>学校教育と男女交際(11)処分申し渡し式／指導なき管理主義</title>
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    <published>2008-10-06T03:33:52Z</published>
    <updated>2008-10-12T06:10:03Z</updated>

    <summary> 処分申し渡し式　週明けの月曜日10時より、学校で処分申し渡し式が行われました。　これに先立って、生徒指導主任のガイダンス及び学年主任の話があり、その後、授業を終えた陸上部監督の先生が話をして、帰られました。　そして定刻となって、校長先生、...</summary>
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        <category term="003 男女・夫婦関係の諸問題" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://e-book4u.info/">
        <![CDATA[<p> </p><h3>処分申し渡し式</h3>　週明けの月曜日10時より、学校で処分申し渡し式が行われました。<br /><br />　これに先立って、生徒指導主任のガイダンス及び学年主任の話があり、その後、授業を終えた陸上部監督の先生が話をして、帰られました。<br /><br />　そして定刻となって、校長先生、教頭先生が新たに加わり、申し渡しが執り行われました。<br />　はじめに校長先生が、遠山の金さんばりの口調で、起立している息子に訓戒を行い、続いて教頭<br />先生が出席停止に関する実務的な話をして、次いで学年主任が訓戒を行い、三人は退席されました。<br /><br />]]>
        <![CDATA[　皆さんのお話を総括しますと、<br /><br />&nbsp;暴力行為はどんなものでも、一切いけない。それを破れば、処罰される、というお話です。<br /><br />　話の前置きとして、「陸上部のエースとして活躍し、アルバイトも頑張り、勉強も真面目にやってきた（？）君が、このような問題を起こして残念だ。見守ってくれている皆さんへの感謝の気持ちを忘れてはいけない」という励ましがありました。<br /><br /><br />　そして、君は今どのように考えているのか？という尋問があり、<br />「カッとなって、叩いてしまったことは、悪いことだった、と反省しています」と、息子は答えました。<br /><br /><br />　最後に、担任のＷ先生が、<br />・共同社会のルールを破れば罰せられること、<br />・学校内で男女二人でいれば、他の同級生との交流機会がなくなってしまうので良くないこと、<br /><br />　を息子に諭されました。<br />　戒告処分の場ですので、これで悪くはないと思います。<br /><br />　悪くはありませんが、どうも形式だけで中身が薄い、と思います。<br />　忙しくて時間がないからしょうがない、のでしょうね。<br /><br /><br />　処罰があって、教育なし、ですね。<br /><br />「これが悪い」という事は、百も承知しているのです。平手打ちをすることが悪いことだとは知らなかった、という話ではないでしょう。<br />「百も承知でやってしまったのっぴきならない状況」に遭遇してしまった、という問題です。<br /><br />「そのような場合、どうすべきであったか」という教訓がないのです。<br /><br /><br />　唯一、校長先生が「腹が立ったら、深呼吸して10数えなさい」というお話をしてくださいました。<br /><br />　これは、小学校の低学年あるいは幼稚園でのけんかの時に、言って聞かせる話としては良い話ですが、高校生にするアドバイスとは思えません。<br /><br />　それに、子細に聞いてみると息子の場合腹を立てて、カッとなった訳ではないのです。<br />　学校の教室内で、妄想によるヒステリーを起こされ、泣き出されて、どうして良いか分からなかった、のです。<br /><br />　深呼吸して、10数えても、自分が巻き込まれているのっぴきならない状況は何も変わっていない<br />わけです。<br /><br />　現実の状況は、どうしたら良いんだ！どうしたら良いんだ！どうしたら良いんだ！<br />　というのっぴきならない状態なのですよ。<br /><br /><br />　そのような時はこうするべきだ、という話は全く出てきませんでした。<br />　たぶん、いきなりそのような状況に立たされたなら、どうしたらよいか、皆さん答えられないのではないか...<br /><br />　それを教えなければ、教育にはならないし、彼の脳裏に教訓化されて残りませんね。<br /><br /><br />　そういう指導がきちんとなされるのか、学校の教育指導に期待したいと思います。学校の見識が問われているのです。<br /><br />　<a href="http://e-book4u.info/2008/10/12.html">(12)成熟と自立への諸問題</a>...に続く<br /><br />]]>
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    <title>学校教育と男女交際(10)衝動的に人を駆り立てるもの</title>
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    <published>2008-10-06T03:19:31Z</published>
    <updated>2008-10-12T06:07:30Z</updated>

    <summary> 衝動的に人を駆り立てるもの (3) 個幻想の自立　最後に検討すべきは、人として彼はどうあるべきだったか、という問題です。これは個人的なものの考え方と価値観に深く関わっています。　とは言っても、高校生ですので親がどう育て教えてきたか、という...</summary>
    <author>
        <name>Yosinori Kobayashi</name>
        
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        <category term="003 男女・夫婦関係の諸問題" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://e-book4u.info/">
        <![CDATA[<p> </p><h3>衝動的に人を駆り立てるもの</h3><br />
<big>(3) 個幻想の自立</big><br /><br />　最後に検討すべきは、人として彼はどうあるべきだったか、という問題です。これは個人的なも<br />のの考え方と価値観に深く関わっています。<br /><br />　とは言っても、高校生ですので親がどう育て教えてきたか、という部分が多くを占めるかと思い<br />ます。<br /><br />　今回の件は、はっきり言って、私のスパルタ教育の悪い面が出てしまったということに尽きます。<br />]]>
        <![CDATA[　私は、保育園児の頃から小学校低学年の頃まで、息子をびんたで躾けました。そういう過去の記<br />憶が、息子の性格に抑圧された形で潜んでいるのだと思います。<br /><br />　彼は「どうしてあんな馬鹿なことをやってしまったのだろう？」と、「反省できない反省」をして<br />います。なぜ「できない反省」かというと、対象が潜在意識の問題だからです。<br /><br /><br /><font style="font-size: 1.25em;">　表面的行動と、隠された情動</font><br /><br />　統合失調症患者でもなければ、人のどんな行動にも、その人なりの理由があります。<br />　ただし、それを自覚しているか、自覚していないかというのは別問題です。<br /><br />「なぜあんな馬鹿なことをしたのか、自分でも分からない。説明も出来ない」という行動を人にとらせるものが、潜在意識としてこころの中にあるということですね。<br /><br /><br />　彼は、普通では考えられないような特殊な生まれ方をしました。<br /><br />　臨月にはまだ数ヶ月あるという助産院での定期検診で、私は信じられない話を30歳代半ばと思われる助産師さんから聞かされました。<br /><br />「私にも信じられないことなのですが...」と彼女は話を切り出し、<br />「お腹の赤ちゃんは、生まれたがっています」というのです。<br /><br />　当時私はある生命科学研究所の責任者であり、自然分娩について調べていました。<br /><br />　気功師でもある助産師さんは「何度確かめても、その（生まれたいという）気が伝わってくる」というのです。<br /><br /><br />　私と助産師さんはかなり長い時間話し合いました。<br />　そして、自然分娩の考えに従い、決然として産むことを選択したのです。<br />　<br />　超未熟児の時期ですので、昔であればとても育たない月足らずでしたが、この産院とお付き合い<br />のある北里病院が隣町にあり、救急車で搬送されました。<br /><br /><br />　何故妊婦である妻を交えた話をしなかったかといいますと、問題が彼女にあったからです。<br />　彼女は長男が生まれた頃から、キッチンドリンカーになっていきました。その話を聞いて、助産師さんは顔をしかめました。酒やタバコは妊婦には禁物ですから。<br /><br />　私もまた、どのような障害を胎児に与えるのかを心配していました。妻も、同じ事を悩みながらも、アルコール依存症は終生改善されなかったのです。<br /><br />　私は、赤ん坊がどのような障害をもって生まれても、それを負って育てていく覚悟を決めて、彼の生誕を象徴する命名をしました。そしてそれは、迷い多く来し方行く末の灯明を求める私自身の希求を意味する名でもあったのです。<br /><br />　赤ん坊は標準体重の半分にも満たない超未熟児として生まれ、長い間保育器で育ちました。この<br />ことが、彼の精神形成に重い意味をもたらすことを、私は危惧しました。<br />　彼はいつでもニコニコしている、いわゆる「手のかからない」子でしたが、どこか親になつかないところがありました。親に甘えるというところがなく、私自身も愛情が今ひとつ湧いてこないものを感じていました。<br /><br /><br />　微妙な問題でしたが、目をそらすことはいけないと思い、妻にそのことを打ち明けると、「私もそう感じているの...」と言うのです。<br />　私は初めて、彼女に出生のいきさつを話しました。<br /><br />　妻は深くうなだれて、驚くことを打ち明けたのです。<br />「実は、あの子が障害を持って生まれてくることを恐れて、（生まれてこないように）殺そうとしたの...」と。<br /><br /><br />　それを聞いて、深い怒りと悲しみにとらわれながらも、あの助産師さんが「胎児は生まれたがっている」という意味を理解しました。<br /><br />　母胎という唯一安心して身をゆだねることの出来る環境が、実は自分という生存を脅かすものであり、その母胎を厭い、本来生きる事の出来ない不安と恐怖に満ちた外界に逃げ出した、ということでしょう。<br /><br /><br />　胎児というのは、妊娠初期の段階で、すでに生物としての反応行動を示します。<br />　生まれるということが、超未熟児の胎児にとっては自殺的行為である、という彼の誕生のありように、私はうちふるえる気持ちで呆然とするばかりでした。<br /><br />　普通であれば、赤ん坊は生まれてすぐ母親の乳房に吸い付いて、母子の絆を確認するのです。<br /><br />　しかしこの子の場合はすぐに医学的な処置がとられて、ただの未熟児よりも遙かに長期間保育器<br />という人間的温もりのない環境にあって、体と心を発達させねばならないという運命を負うことになったのです。<br /><br />　不幸なことに、彼は母親との豊かな絆を築くことが出来ず、母親もまた彼を他の兄弟のようには慈しむことが出来ず、母親に対する渇愛や憎悪入り乱れた気持ち（マザコン）を潜在意識として、持っています。<br /><br />　彼は、兄が「お父さ?ん」と甘えるのを見て、「お兄ちゃん、なんでかわいい声を出してるの？」<br />と尋ねるのを見たことがあります。<br />　兄は「ゥるせい、バカ！」と言って、彼を後ろ蹴りしました。<br /><br />　その時の、埴輪のような、きょとんとした彼の表情に深い憐憫の情を覚えずにはいられませんで<br />した。<br /><br />「甘えることすらしないし、理解できない子供」であることに、親としてとまどうばかりであったことを強く覚えています。<br /><br />　彼は、親の危惧を打ち払うようにすくすくと育ちましたが、どうも躾（しつけ）ができないところがあると感じるようになりました。<br />　上の二人の子は、叱ることがほとんどなかったのですが、この子はいくら口で言っても、教訓化されない。行動に理解不能なところがありました。<br /><br />　たとえば、ゴミをその場にどこにでも捨てる、という事を今でもやります。<br />　一つの躾が教訓化されないために、次のステップに進まない、という感じです。<br />　朝から晩までガミガミ言うのは、子供にとっても親にとっても良くないと思い、ビンタで躾けた、といういきさつがあります。上の２人には手を上げたことは全くないのです。<br /><br /><br />　ところが、小学生の高学年になるころに、あることに私は気づきました。<br />　それは、彼の言語能力が著しく未発達のままだ、ということです。<br /><br />　言語能力が低いと言うことは、すなわち論理思考が出来にくいということです。そして、コミュ<br />ニケーション能力が未熟である、ということでもあるわけです。<br /><br />　たとえば、数学のちょっとした応用問題ができない。教えてみると、設問の意味が理解できていないということが分かったのです。言葉で思考する、という基本的なレベルで未発達だった。<br /><br />　そして、他者とのコミュニケーション能力でも、同様です。<br />　兄や姉たちも、彼の言うことは何を言いたいのか分からない、聞いていてイライラすると言うのです。<br /><br />　これも例を挙げれば、私がここで言葉を費やして述べていることを、彼は「自分が悪いのに逆切れして、ぶってしまった」と記述して終わり、それ以上の説明が出来ない、ということなのです。<br /><br /><br />　彼の説明を聞いても、そのままでは何も了解できない。親としても何とも言いようがない。時間をかけて、二者択一的に質問をして一つ一つ分析していくと、ここに述べているような彼の精神構造が見えてきたわけです。<br /><br /><br />　生来の原因があって彼の頭が偏っていることを私は認め、なにか個性を伸ばせる部分があるので<br />はないかと気をつけるようにしました。<br /><br />　人には右脳的な能力と左脳的な能力があり、論理的な思考能力と芸術的な思考能力は反比例する、といいます。論理的な思考は、自由闊達な発想を抑制してしまうからです。<br /><br />　言語能力が低いのは、多分彼の出生に関わる障害なのか、あるいは乳幼児期における母子の接触の欠如にあるかもしれません。<br /><br />　日本の学校教育では、不得手の科目を克服するという「平均得点重視」の指導をしますが、これは10の努力をしても１の結果しか出せない方法です。<br /><br />　反対に、得意なことを思い切りやらせると、10の努力が20、30の結果を生み出すということが分かっている。<br /><br /><br />　息子の通った小学校でも中学校でも、私は個性を生かす指導をして欲しいと要望しましたが、学校の先生は「分かりました」という返事はしますけれど、実際には忙しすぎるのか十把一絡げの指導しかしません。不得手克服の話にしかならない。<br /><br /><br />　私は、言語能力が低いのであれば、何か右脳的な潜在能力があるはずだと考え、何でも良いから、その特質をむしろ生かせればいいなと考えました。<br /><br />　昔から、大成するには「コケの一念」が大事、といいます。小賢しい人間は大成しないと、逆の言い方もします。<br /><br />　彼の場合は、空気が読めない鈍感さがあるので、むしろ逆に「コケの一念」を貫かせた方が将来のためだ、と親としても腹をくくったのです。<br /><br />　それで、多少のことには目をつぶり、自由な発想を生かせるように育てたつもりです。<br /><br /><br />　彼は中学生になって、良い先生と出会い、絵画の能力を見いだされました。ある風景絵画のコンクールで、連続して金賞を受賞したのです。<br />　ただ、私には画家の友人や、世界的に有名な画家の知り合い、陶芸家の友達がいますが、そのよ<br />うな仕事で食っていける人は一握りしかいないという現実をよく知っています。<br /><br />　何よりも、私自身が現代詩という最も食えない仕事を天職としていますので、この子だけは何とか不自由なく食べていける道を選ばせねばならないと、もう一つの能力である体育系に進ませたわけです。<br /><br /><br />　彼は、反省文で「自分は感情まかせの行動をする」と述べていますが、それは親である私がそれ<br />を黙認して、彼らしさを引き出そうとした育て方に原因ある、ということです。<br /><br />「人前で泣きつかれてパニクッてしまい、頭の中が真っ白になった」ということは、論理や理性でものを考えることが全く出来なくなった、ということです。<br /><br />　このような突発時に人を衝き動かすのは何かといえば、潜在意識という情動です。潜在意識というのは理性の働きよりも強く、善悪の判断などはしないという特性を持っています。私はこれを、盲目の意志と呼んでいます。<br /><br /><br />　植木等が「スーダラ節」を歌うことになった時、お寺の住職だった植木の父親は、「分かっちゃいるけど、やめられない（あるいは、やってしまう）」というのは、人間性の真理をついているな、と語ったそうです。<br /><br />　理性以上に人を衝き動かすのは自覚されない潜在意識の働きです。それは特定の感情と結びつい<br />ていて、理性的な善悪を分別することはなく、無意識に作用するのです。<br /><br />　彼の潜在意識がどのようにして形成されたのかと考えると、やはりトラウマになったのかなと感慨をいだく過去があります。<br /><br />　息子が潜在意識の世界に追いやったトラウマとはどのようなものかというと、酒乱になって家庭を破壊し続ける妻を子供たちのいる前で、私がビンタして黙らせた、というショックだったのだろうと考えざるを得ません。<br /><br />　この経緯は500ページ書いても書ききれないことですので、ここでは述べません。<br /><br />　彼の心の奥底には「男女が争う非常に嫌な感情と、狂乱をビンタで黙らせるという忌避すべき行為と」両者が結合した潜在意識が存在していて、理性では抗いようもなく、とっさの場合に衝動として衝き動かされてしまう、心理的な要因があるのです。<br /><br /><br />　これは、「平手打ちはいけない」とか、「何でそんな馬鹿なことをしたの」と理性のレベルで対処しても、何の効果もなければ、解決にもなりません。<br />　理性や理屈で押さえ込んでも、別な形で出てくることになるだけです。<br /><br />　それではどうしたら良いのでしょう。<br />　これは、大変な事なのですが、潜在意識のレベルで、再構築するという作業です。<br />　これは、私がやらねばいけない課題だなと思います。<br /><br />　私がカウンセリングをして、さらに息子にセルフカウンセリングを指導して、問題となる過去の体験を直視させ、新たな価値観でもって経験の意味を再構築する、という精神的な作業になります。<br /><br />　トラウマの内なる世界は、どのような精神的あるいは意識レベルの作用機序を持っているか、と<br />いうことは私なりに理解しています。<br /><br />　私には、自分と子供たちの心の傷を救うために営々として書き続けているものがありますので、いずれそれを読ませ、彼のトラウマを癒さないといけないと考えています。<br /><br /><br /><a href="http://e-book4u.info/2008/10/11.html">(11)処分申し渡し式／指導なき管理主義</a>...に続く<br /><br />]]>
    </content>
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    <title>学校教育と男女交際(9) ものの考え方を教えることの重要性</title>
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    <published>2008-10-06T03:02:02Z</published>
    <updated>2008-10-12T06:02:24Z</updated>

    <summary> ものの考え方を教えることの重要性　つらいと視野狭窄に陥る　私たちの「ものの考え方の偏り」にはいくつかのタイプが見られます。・根拠に乏しい決めつけ・黒か白かのデジタル思考・こころのフィルターに無自覚・拡大解釈と過小評価・針小棒大な事を普遍化...</summary>
    <author>
        <name>Yosinori Kobayashi</name>
        
    </author>
    
        <category term="003 男女・夫婦関係の諸問題" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://e-book4u.info/">
        <![CDATA[<p> </p><h3>ものの考え方を教えることの重要性</h3>　<font style="font-size: 1.25em;">つらいと視野狭窄に陥る</font><br /><br />　私たちの「ものの考え方の偏り」にはいくつかのタイプが見られます。<br /><br />・根拠に乏しい決めつけ<br />・黒か白かのデジタル思考<br />・こころのフィルターに無自覚<br />・拡大解釈と過小評価<br />・針小棒大な事を普遍化してしまう<br />・すべき、しなければならない強迫観念<br />・何でも自分のせい<br />・感情に引きずられた判断<br />・悪い方に考えて、それを実現（引き寄せ）してしまう<br /><br />　このような偏ったものの見方が常軌を逸すると、問題になるわけですね。<br /><br /><br />
]]>
        <![CDATA[　それでは、自分のものの見方・考え方の偏りを修正していくにはどうしたらよいのでしょうか？<br />
この問題を、少し考えてみましょう。<br />
<br />
<br />
<br />
　自分の思考を整理する<br />
<br />
　検証する<br />
・&nbsp;&nbsp;&nbsp; まず判断停止...決めつけをやめる。<br />
<br />
　人の性格を表す言葉に「十人十色」というのがありますが、性格同様に人の考え方というのもそれぞれのフィルターのようなもの、つまり偏りがあります。<br />
　それをよく、色眼鏡でものを見る、といいますね。<br />
<br />
　普通は、それでもかまわないのですが、何かに腹を立てたり、気持ちが沈んだりした時は視野が狭くなりますので、著しく偏った考え方に陥りがちです。<br />
<br />
　特に生真面目な人ほど規範意識が強いので、固定的な考えに囚われていく癖があるのだと、はっ<br />
きりと自覚しておくことが必要です<br />
<br />
　自分のものの考え方の傾向を理解して、前提条件やとらわれ、あるいはこだわりを捨てることが必要なのです。<br />
　このことをまず、思い出して頂きたいのです。<br />
<br />
<br />
　精神的に疲れたなと感じたり、つらい気持ちになった時は、あれこれ悩んで堂々巡り思考になっているのをやめましょう。<br />
<br />
　やめ方はいろいろあるのです。<br />
　<br />
<font style="font-size: 1.25em;">(1) 考えることをやめる</font><br />
<br />
　頭を働かせずに、体を働かせる<br />
<br />
　ヨガの故沖正弘導師は、断食道場の入所者にジョギングや作務を行わせて、余計なことを考えるいとまを与えませんでした。その時、その時やるべき事に全力を注がせて、一日が終われば倒れるように寝込んでしまう、という日課を施したのです。<br />
<br />
　それは、余計なことを考えるだけのエネルギーを残さない、という考えからです。エネルギーが有り余っているから、問題行動を起こしたり、余計なことを思い煩うということですね。<br />
　家庭の中でやるとしたら、家の内外を徹底的にお掃除することが、一石二鳥でしょうね。<br />
<br />
　精神的に疲れていると、部屋の中が乱雑になっているものです。放っておくと、ますますだらしなくなります。<br />
<br />
　特に玄関やトイレを徹底的にキレイにすると、運気が良くなるそうですから、せっせと掃除道を極めてください。ただし、勘違いしてはいけないのは、掃除は目的ではなく手段に過ぎないという点です。生活していれば汚れるのは当然ですので、神経質になっては本末転倒だということをお忘れなく。<br />
<br />
　若い人なら、ジョギングも良いです。運動をすることで、大脳生理学的にもストレス反応が軽減されることが分かっています。体を動かして良い汗をかくと、気分も爽快になりやる気が湧いてくるものです。<br />
<br />
<br />
<br />
<font style="font-size: 1.25em;">(2) 判断停止をする（「先入見」をやめる）</font><br />
<br />
　社会生活をしている以上、体を働かせる状況にないことの方が多いはずです。<br />
　その場合は、思い悩む元になっている自分の判断を、ちょっと待て！といって、意識的に停止することが必要です。<br />
<br />
　Ｅ・フッサールの「現象学」でいうエポケー（判断停止）がこれにあたりますね。<br />
<br />
　個々人が持っている考え方の枠組み（偏り）を「先入見」であるとして、「ちょっと待った」と差し戻し（現象学的還元）、認識と事象との関係に目を向けなさい、という考えです。<br />
　哲学者デカルトの「われ思う、故にわれ有り」（ラテン語でCogito, ergo sum）という言葉は有名ですが、デカルト以前は「自分の外部世界認識＝実在の外部世界」という認識があったわけです。<br />
<br />
　いまでも、一般の人はこのレベルでものを考え、他者と会話をしたり論議をしているわけです。<br />
しかし、最初に述べたように人は十人十色の色眼鏡でものを見ていますので、ただ一つの外部世界<br />
が、人それぞれ違って認識しているということです。<br />
　デカルトはそのような認識をすべて疑い、排除して、対象を見ている自我意識だけは疑い得ないものだとしたわけです。<br />
<br />
　しかし、認識論的な限界をもつデカルト哲学を、フッサールは「反省以前的コギト」（この用語はサルトル『存在と無』から）である」として、認識体験、認識の意味、認識対象、この3つの相関関係を解明する現象学を示したのです。<br />
<br />
　難しいことは忘れてもかまわないですから、<br />
<br />
「人の考え方は十人十色、<br />
　なにか問題があった時は自分の考えに囚われないで、<br />
　判断停止」。<br />
<br />
　これだけは、絶対に忘れないで頂きたいのです。<br />
<br />
<br />
<br />
<font style="font-size: 1.25em;">(3) 現実をありのままに見る叡智</font><br />
<br />
　私は、他者の愚痴などを聞かされると、「幸福も不幸も、こころの中にしかないんだよ」とアドバイスをします。<br />
<br />
　その人の話に同調することなく、それに反する事例を挙げて、<br />
「相手を変えようとしても無理がある、過去の事実も変えることは出来ない、変えられるのは自分の受け止め方だけです」<br />
　...と突き放しますので、天の邪鬼だと言われることもあります。<br />
<br />
<br />
　仏陀は初転法輪（悟りを開いた後の、初めての説教）において、<br />
<br />
・人の迷いの実態は苦であること。<br />
・その苦は、苦として外界にあるのではなく、自分がそれをどう受け止めるかによって違ってくること。<br />
・執着がもたらす「煩悩」こそがすべてを苦と受け取らせる原因であること。<br />
・本来、執着すべきでない自己に執着することを捨てて、苦を滅した境地が悟りである。<br />
<br />
　...という、四諦（したい）をバラナシの鹿野苑（サルナート）において説きました。<br />
<br />
　西欧的分析哲学が20世紀になって到達した認識論を、紀元前４?５百年という時代の若きシッダールタが説いて、「現実のありのままの姿（実相）を観じていく者」という意味の如来という言葉を使ったのです。<br />
<br />
<br />
　このすばらしい東洋的直観に敬服せざるを得ません。<br /><br />
　私も、シッダールタが出家した同じ齢（よわい）に、運転手付きの公用車に乗る虚妄の生活を捨てて、バラナシの中心部にあるDasashwamedh Ghat（ダサスワメート・ガート）という、ガンガの沐浴場の近くに部屋を借りて、シタールの修行に励んでいたことを思い出します。<br />
<br />
　仏陀の生誕地からバラナシに至る途中で荷物を盗まれて何もなし、という体（てい）で、この聖地に入ったということも、意味のあることだったかもしれません。<br />
<br />
　サドゥー（修行者＝沙門）同然の腰巻き一つで、グル（導師）となるShri R.K.Misura 翁の元で、<br />
徒弟修行を送りました。日本であれば、乞食と見なされるでしょうね。<br />
　Shriというのは、格式の高いバラモンにつける尊称で、師はベナレスヒンドゥー大学の名誉教授でした。<br />
<br />
「スッタ・ニパータ」（仏陀の言葉）という、生身の仏陀の肉声を纏めた最古の教典（岩波文庫）を、私は10代後半の頃に愛読していましたので、日本に戻らず足かけ２年も世捨て人になっていたのは、ごく自然な成り行きだったといえるでしょう。<br /><br />
<br />
　私が師から学んだ教えの一つに「無私の精神」というのがあります。<br /><br />
　インド古典音楽はラーガと呼ばれ、原義は「こころを彩るもの」という意味があります。<br />
　楽曲の音は、「ナーダ」といい、「ナーダ・ブラフマ」つまり、楽器の音は天の声、という考えです。<br />
<br />
　師は、「こころを無にしなければ、天の声がこころの中に入ってこないぞ」と言い、お前の心は明鏡止水がごとし、と評価して頂きました。<br />
<br />
　無私にならなければ、ありのままのことを、ありのままに受け入れることはできない、という事ですね。<br />
<br />
<br />
<br />
<font style="font-size: 1.25em;">(4) 多面的にチェックすること</font><br />
<br />
　仏陀の教えは透徹していますので、実践的なものではあっても、できないというのが俗人の悲しさですが、そのすばらしい認識論だけは忘れて欲しくないと思います。<br />
<br />
　ここからは、思弁哲学ではなくプラグマティズム的に考えていきたいと思います。<br />
　原理原則はしっかりと押さえ、プラグマティックに実践していきましょうというのが私の流儀です。<br />
<br />
　チェックすべきポイント<br />
<br />
　1) 自分がそうだと思いこむ根拠は何か？<br />
　2) それを証明する事実にはどういうものがあるか？<br />
　3) それに反する事実から目をそらしたり、矮小化しているのではないか？<br />
<br />
<br />
　このような実証主義的なものの考え方は、非常に大切です。<br />
　反省以前的なCogito を反省（自覚）していない人は、伝聞や憶測、想像でものを考えたり、発言したりします。<br />
<br />
　まあ、それが日常生活の常態ですので、目くじらを立てる必要はないのですが、何かあった場合にはきちんと手順を踏んで考えないといけないですね。<br />
<br />
　誤解で他者を非難するようなことなどは、実社会では厳に慎まなければいけないことですが、ジャーナリズムの世界では俗に「ウラをとる」と言います。裏付けを調べる、と言う意味です。<br />
<br />
<br />
　こころが苦しい時、ひとは視野が狭くなり、偏ったものの考え方をして、現実そのものではなく頭の中の「仮想現実」を現実だと思いこむのです。<br />
<br />
　自殺をしたり、あるいは逆に人殺しをする人の精神状態というのは、まさにこの仮想現実、はっきり言えば「妄想」を現実そのものだと思いこんでいる場合が多いのです。<br />
<br />
<br />
　これを打破していくには、根拠と事実の検証をきちんとやることが何よりも必要です。<br />
　このような考え方を身につけていないと、妄想の土壺にはまってしまう、ということです。<br />
<br />
　先に掲げた３つの手順に従って、しっかりとチェックするようにして頂きたいですね。<br />
<br />
<br />
<br />
<br />
<font style="font-size: 1.25em;">(5) 離見の見...相対的に見る</font><br />
<br />
　次の問題は、自分を悩ませているのが「何かの間違いではなく、現実である」という場合です。<br />
<br />
　これはしっかりと事実を直視しなければいけないのですが、主観的にならないように注意を払うこと。<br />
　そうするには、自分自身をも対象化して、物事を相対化して見ることです。相対化することで、客観的に見ることが出来るのです。<br />
<br />
　いわば、自分を離れて自分を見る、というものの見方をするということですね。<br />
　中世において能を大成させた世阿弥の風姿花伝（花伝書）に、「離見の見」と言う言葉があります。<br />
能の極意は、演じている自分を離れ、（多面的な）観客の視点で自分を見ることが肝要だといいます。<br />
<br />
<br />
　これは、能などの舞台芸道に限らない、ものの見方の極意だと思います。<br />
<br />
　いろいろな気持ちや考えの間で自分が揺れても、時には落ち込むことがあっても、そんなこころが疲れ弱くなった自分を認めてしまっても、自分という存在が崩れてしまわないのは、このような「離見の見」が、じぶんの偏りを修正し、必要なこころの力を引き出してくるからなのです。<br />
<br />
<br />
　哲学の用語では「対自意識」といって、無自覚な自意識とは区別しなければいけません。<br />
<br />
　こころが崩れてしまう人の精神状態は、この客観的に自分を見ることが出来ない状態なのだと言えますね。<br />
<br />
「ほらほら、これが僕の骨」と書いた中原中也の詩は、自分を冷酷と思えるほど突き放している目を感じさせます。<br />
<br />
　ものを書くと言うことは、自分を客観視する営為ですので、昔の人に倣って日記をつける、ということは自分を救う事にもなるのだと思います。<br />
<br />
　自分をも対象化することによって、こころに余裕ができるのです。<br />
<br />
　ああ、もう自分は何をやってもダメだ！とあきらめる自分を、それほどのことではないのじゃないか...、と見つめ直す手がかりになるからです。<br />
<br />
<br />
<br />
・そうだとしたら、その結果どうなるのか？<br />
　→どれほどひどいこと・悪い事態が起きるのだろうか？<br />
<br />
・そのことは、客観的に見てどれくらい重要なことなのだろうか？<br />
<br />
<br />
　こういう事を、思いつく限り書き出してしまうと良いですね。<br />
<br />
　多くの場合、客観的に見ようとしても出来ていないことが多いものです。<br />
<br />
　相対的に自分を見ることで、見えてくる重要なものに、自分の立場というものがあります。<br />
<br />
　たとえば、会社員である自分、学校の先生である自分、ということを前提にしていながら、客観的に物事を見ている、と思っている誤謬です。<br />
<br />
　現象学的厳密さで考えるなら、甚だしく粗雑な思考なのですが、大多数の人間がそのようなものの考え方をするのです。<br />
<br />
　何が問題なのかと言いますと、「帰属意識から離れてものを考えられない」という点です。<br />
<br />
<br />
　個的意識をしっかりと確立して、自立していることが重要なことなのですが、サルトルが指摘しているように、人は本当の自由を欲しないのです。<br /><br />
　自立していない人間は帰属意識に依存して共同規範という束縛をむしろ、求めているところがあります。学校の先生は、学校への帰属意識に依存して、独自の価値観では考えられない、「業界バカ<br />
の壁を持っている」ということを、少しでも認識しないといけないと思います。<br />
<br />
　会社を定年退職した男性が会社ではなく、今度は妻に依存する「ぬれ落ち葉」になってしまう。<br />
還暦を迎える年齢になっても個が確立しておらず、ティーンエイジャーの精神年齢...。<br />
<br />
　吉本は共同幻想の擬制に対峙しうるものは個幻想の自立だ、と喝破しています。<br />
　「自立せよ！」と言う。<br />
<br />
　遡ってみるに、仏陀は<br />
<br />
「ただみずからを灯明とし、みずからを依処（よりどころ）として、他人を依処とせず、法を灯明とし、法を依処として、他を依処とすることなくして、修行すること」<br />
<br />
　...が大切だ、と言っているのです。<br />
<br />
<br />
　近年の社会問題として、人間関係やその他いろいろなことで悩んで、自殺する人が少なくありません。<br />
<br />
　すでに二千年前の人が分かっていることが、現代の人間には分かっていない。この精神的な後退<br />
現象に、戦後教育の貧困があるなと見るのは、教育への期待しすぎでしょうか。<br />
　<br />
<br />
　死ぬつもりなら、むしろ今の立場や人間環境を捨ててしまえばよいのに、と思います。<br />
<br />
　今の立場に拘泥しているから、出口なしのように思えるのです。自分が依存しているものを放り出して考えてみれば、死ぬほどのことは何もないことが分かってきます。<br />
<br />
　その立場にないものから見ると、バカバカしい事でしかない場合がほとんどです。<br />
<br />
<br />
　私が仰ぐ師の一人に日本導観の故早島天來（筆名早島正雄）先生がおられます。洗心術という講<br />
話で「ホカしてしまえ」という表現で、つまらん悩みは根こそぎ放ってしまいなさい、というお話をされていました。<br />
　放す（ホカす）という言葉は、禅の用語である放下著（ほうげじゃく『五家正宗贊』）から来ているかと思います。<br />
<br />
　仏陀は、人間の煩悩の元は執着（しゅうじゃく）であるとして、その執着を厭い離れよ、と説きました。それが放下ということで、著とは、?せよ、という意味を強める言葉です。<br />
<br />
<br />
　放下は「ほうか」という読みもあり、この読みが転じたのかと推察しています。<br />
<br />
　漢語の素養がない若い世代の人は、放下著といってもピンと来ませんので、「ホカしてしまえ」と自分に言い聞かせた方が、何となく実感できるのではないでしょうか。<br />
<br />
<br />
<font style="font-size: 1.25em;">・一人で悩まない</font><br />
<br />
　個幻想の自立といっても、社会経験の少ない若い世代には出来ない話ですので、一人で悩まず誰<br />
かに相談しなさい、と無難なアドバイスもしておきます。<br />
<br />
　将棋で、「下手の考え、休むに似たり」という言葉があります。多くの引き出し（経験、ものの考え方）を持っていない未熟者の考えは、堂々巡りをしていて何も考えていないに等しい、という意味です。<br />
<br />
　他者に相談することで、客観的な反証（そうでないという事実）を得ることが多いのですが、信頼できる人を選ばないといけないですね。天の邪鬼などと逆恨みするのは、小児病なのだと恥ずべき事です。<br />
<br />
　この場合、身近な親に相談すれば良いのかというと、必ずしもイエスとは言えないのです。社会常識的な問題であれば、親に相談した方が良いかもしれないのですが、人間関係の悩みなどの相談<br />
に親は不適切なことが少なくありません。<br />
<br />
　自分の子供のことになると客観的なアドバイスが出来ない事があるものです。<br />
<br />
　とくに、母親は息子をえこひいき、娘には自己同一視・支配感情を持っていることがあり、母親自体が問題の遠因となっていることがあります。<br />
<br />
　親離れ、子離れの出来ない親子関係は少なくありませんので、むしろ親から離れることで人間関<br />
係不適応が改善される、というケースもあるのです。<br />
<br />
　自らを依処（よりどころ）として、アドバイスをもらうという基本的な姿勢を保持すべきです。<br />
<br />
<br />
　いずれにしても、親に相談したくないことは、信頼できる上の人に相談すべきで、同級生とか同じレベルの人では気晴らしにはなっても、あまり意味がありません。<br /><br /><br />
<font style="font-size: 1.25em;">・一人で背負わない</font><br />
<br />
　私たちは、精神的に疲れたりすると、「自分はダメな人間だ、能力がないし、人にもバカにされ、だれにも助けてもらえない」というマイナス意識が強くなっていきます。<br />
<br />
　これは、大なり小なり、誰にでも一般的に見られる人間心理のあり方ですので、自分の弱さを直視し、認め、助けてもらうという自己開示の勇気が必要です。<br />
<br />
　男の場合、「強くなければ男じゃない、優しくなければ男じゃない」みたいな、「こうあるべき論」に縛られて、泣くことも出来ない・怒ることも出来ないという不自由な状況に置かれています。<br />
<br />
<br />
　我が国には「窮鳥懐に飛び込まば、猟師もこれを捕らえず」ということわざがあります。<br />
<br />
　猟師に追いかけられて逃げ場を失った鳥が、その猟師の懐に逃げ込んできたなら、人の情けで捕<br />
まえることはしない、という意味です。<br />
<br />
<br />
　私たちは、他者に頼られるとうれしいものです。（借金の申し込みはダメですが）<br />
<br />
　私なども、「容赦なく厳しか父親ばい」という口でして、自分のことは自分でやれ、自分のやったことは自分で責任をとれ、と子供たちには言い渡していますが、アドバイスを求められればしっか<br />
りとフォローまでします。<br />
<br />
　一人で悩まないためには、しっかりと筋の通ったアドバイスをしてくれて、かつ二人三脚的にフ<br />
ォローしてくれる人が必要です。<br />
<br />
　しかし、現実問題として、頼りに出来る人というのはなかなかいないというのが現実です。<br />
<br />
　本来ですと、学校の先生は頼られて然るべき立場の人間ですが、そのような情熱を持っている先<br />
生はほとんど見あたらないようです。<br /><br />
　面倒なことは避けたいので、さっさと機械的に処理して終わりにしたい、と内心考えている先生に、生徒も頼ろうとは思わないでしょう。そのような気持ちが、伝わってしまっているからです。<br />
<br />
<br />
　結局、最後に頼れるのは家族しかいないのです。<br />
<br />
　親は子供を産まれた時から面倒見ており、何十年間も愛情を注いでいるのです。<br />
<br />
　年頃になると、特に男の子は親を疎んじたりして、子供の時のような密着した関係ではなくなりますが、親ほどあなたを心配している人はいない、ということだけは人として忘れてはならないことなのですよ。<br /><br /><br />　<a href="http://e-book4u.info/2008/10/10.html">(10)衝動的に人を駆り立てるもの</a>...に続く<br /><br />]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>学校教育と男女交際(8) 教育現場における小児病の蔓延</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://e-book4u.info/2008/10/8.html" />
    <id>tag:e-book4u.info,2008://1.18</id>

    <published>2008-10-06T02:51:04Z</published>
    <updated>2008-10-12T06:00:16Z</updated>

    <summary>教育現場における小児病の蔓延 　日本人は精神年齢が、西欧人よりも低いと言われます。　占領軍総司令官のマーカーサーが「日本人の精神年齢はティーンエイジャー（teen ager）だと言ったのは有名な話ですね。13teen から19teen がt...</summary>
    <author>
        <name>Yosinori Kobayashi</name>
        
    </author>
    
        <category term="003 男女・夫婦関係の諸問題" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://e-book4u.info/">
        <![CDATA[<h3>教育現場における小児病の蔓延</h3>
　日本人は精神年齢が、西欧人よりも低いと言われます。<br /><br />　占領軍総司令官のマーカーサーが「日本人の精神年齢はティーンエイジャー（teen ager）だと言<br />ったのは有名な話ですね。13teen から19teen がteen ager ですから、未成年だというわけです。<br /><br />　確かに、日本は子供文化の世界だという気がしますが、戦前までの日本は大人文化の世界だった<br />ようです。]]>
        <![CDATA[　幕末に、アメリカ政府から遣わされて来日した勅使が、日本の抹茶が口に合わず「ミルクを飲みたい」と言ったそうです。<br /><br />　それに対して、牛乳は牛が仔牛に与えるものである。古来、我が国では人が、就中（なかんづく）大人が牛の乳を飲むという習慣が無いので、供することは出来ない、と答えたといいます。<br /><br />　堂々とした、大人（たいじん）の態度です。<br /><br />　ところが、昨今の我が国では、ティーンエイジャーどころか、もっと精神年齢が低い小児病的人間が増えているのではないか、という事柄を数多く散見します。<br /><br /><br />　小児病というのは、豊富な社会経験で多面的なものの見方をするべき大人が、子供のような一面<br />的で偏った考えに固執することを言います。<br /><br />　かつてのウーマンリブも、女性の権利を社会的に認知させようとしてパフォーマンス的に行われる部分もありましたが、小児病の女性は針小棒大に何でも女性差別だとする行き過ぎたところがありました。<br /><br /><br />　最近では、電車の痴漢摘発免罪問題に、小児病的傾向が指摘されました。<br /><br />　それは、女性の言い分は全面的に採用され、免罪を受けた男性は自分は無実であることを客観的<br />な証拠を出して証明できないと、ほぼ100％有罪になるという、行き過ぎの問題です。<br /><br />　もともと、この言葉はレーニンが「左翼小児病」という言葉で、新興共産国の行き過ぎた教条主義的共産主義に警鐘を発したところから来ています。中国の文化大革命など、左翼小児病的な行為が問題となりました。<br /><br />「平手打ちは暴力行為であり、暴力行為は処罰の対象になる」とステレオタイプな言葉しか聞けない先生方とお会いして、小児病的だと感じたのは、このようなことをふと、思い浮かべたからです。<br /><br />　世の中は何でも白か黒かで分けられるものではありません。むしろ、その狭間で、様々な位相にあるのが一般的なことです。ところが、アメリカナイズの影響で、イエスかノーをはっきりさせることが良いことだ、という風潮が広まっています。<br /><br />　暴力だと言っても、程度の問題もありますし、動機と目的も様々です。<br />　そのような複雑な要素を考慮に入れず、一律に暴力行為だというのは、教育的見地からどうかな、<br />というのが私の疑問です。<br /><br /><br />　以前、「腕白でも良い、丈夫に育って欲しい」というＣＭが、いじめや暴力を是認しているとやり玉に挙がって、放送されなくなりました。<br /><br />　暴力反対の意識を高めることは当たり前のことですが、このようなＣＭまで不買運動をちらつかせてストップさせるのは、小児病者の行き過ぎではないかと思います。<br /><br />　このような圧力をかけるのも、れっきとした暴力行為ではないでしょうか。<br /><br /><br /><br />　もう一つは、言葉の暴力という問題があります。<br />　ところが、この問題にも、小児病が蔓延しています。マスコミや放送における禁止用語というのがそれですね。<br /><br />　このような言葉狩り小児病によって、「言葉の暴力」の本当の問題が見えにくくなってしまいました。<br /><br />　女性はだいたいが男よりも口が達者で、しかも女性の論理は感情がらみが多いので、男が論理的<br />に話しても、辞書的な意味つまり字面通りには受け取らない事が少なくありません。<br /><br /><br />　まともに言い合いをすれば、だいたいは男が負けてしまいます。息子のように言葉が遅く表現も下手な子は、口撃されっぱなしです。そして、今の子は「言ってはならない」とされてきたタブーのようなことも、平気で口に出します。<br /><br />　女性の吐く言葉の暴力は、野放しなのが実に不思議ですね。男が言えばセクハラだと糾弾されま<br />す。<br /><br />　男というのは、精神的に動揺したり、こころに傷を負ったりすると、黙りこくってしまいます。<br />自分の殻に閉じこもって、本来の自分を取り戻そうとするのです。時間が解決してくれる。<br /><br />　女性の場合は、まず感情を吐き出してしまわないと、何も始まらない。<br />　鬱積した気持ちを吐き出すと、一息つける。<br /><br />　このままでは、かみ合いませんね。最後は、一触即発です。<br /><br /><br />　そういった男の特質を学んでいない女性は、黙り込んだ男を更に口撃してしまうのです。<br /><br />　男は、十中八九、相手を振り払ってきます。相手が母親であろうが、妻であろうが、恋人であろうが...。<br />　ぶちキレるのです。<br /><br />　父親はよく分かるので、殻に閉じこもった息子にガミガミ言うことはしないものです。それをやって、バットで殴り殺されたという事件は、私の記憶にはっきりと残っています。<br /><br />　殻に閉じこもって、自分を取り戻そうとしている男に対して口うるさく言うと、男は精神的に追いつめられて、本能的な暴発行為を引き起こすということを、女性には分かっていない男の特質として、教えておかないといけません。<br /><br /><br />　このような、人間関係を良好に維持していく基本的な知識を分かっていないことが、同種の事件を何度も何度も引き起こすことになるのです。ほとんど、永遠の課題です。<br /><br /><br />　学校での事件の前、例によって長電話の後、苛立った表情で自分の部屋にこもってしまうことが続きました。<br /><br />　我慢をする時、息子は歯ぎしりをするような、劇画的な表情をします。<br /><br /><br />　今回の件は自己中心的な怒りで、殴る蹴るの乱暴をしたという訳ではありません。<br />　<br />　息子は、超未熟児として生まれたせいで、言語能力に劣るところがあります。言葉の覚えが悪く、<br />語彙も少ないので、自分の意志や気持ちをうまく表現できないのです。<br /><br /><br />　この事件では、「いきなり泣き出されて逆切れした」と反省文に書いているのですが、じっくりと聞いてみると、「逆切れ」ではないのです。<br /><br />　精神的に疲れて、頼むからちょっと放っておいて欲しい、これ以上口うるさくしないで欲しいと思った。<br /><br />　教室の中までやってこられて、泣き出される事態は、非常にまずい、という思いが、頭の中を駆けめぐっていたようです。<br /><br />　余計な事ですが、この女生徒は、泣いて我を通すという育ち方をしていると推察されます。不適切な甘やかしをするのは、おじいちゃん・おばあちゃん子である場合に見られる傾向です。<br /><br />　たぶん、大家族で育ったのでしょう。大勢の前で駄々をこねて、言い分を通すという経験があるのかと思います。<br /><br />　そういう性格的要因があって、大勢の人がいる教室の中で、<br />　恥も外聞もうち捨てて、泣いて息子を屈服させようとした、のではないでしょうか？<br /><br /><br />　結果として、彼女は望み通り、相手を屈服させ謝らせ、後々までこのことを蒸し返して相手をコントロールする材料（話題）にしてくるはずです。これは望ましい人間関係ではないと認識すべきです。<br /><br />　そのようなやり方を、ここでも通用させてしまった、ということは人間教育としては最低な話だと思います。<br /><br /><br />　息子としては、とっさの言葉が出てこない、うまくしゃべれないというコミュニケーション能力の低さが、身振り言語としてのピシャリ！という平手打ちだったのです。<br /><br />　これは、怒りの現れではなく、やめてくれという身振り言語なのです。<br /><br /><br />　多面的に見ていくと、平手打ちと言っても、様々な様相が現れてきます。<br /><br />　改めてお断りしますが、この論考は息子のビンタを擁護するものではありません。もっときめ細かく見て、教育すべきは何かを見分けて頂きたい、ということなのです。<br /><br /><br />　結果だけしか見ないで、暴力だ、暴力行為だと単純に決めつける、教条主義的な学校の対応に、<br />「豊かな心を育む」などという教育は望むべくもないのかもしれないな、というのが私の受け止め<br />方です。<br /><br /><br />　絵に描いた餅のような教育理念を、学校の玄関に掲げていても、贋作の掛け軸をお茶の間に飾っ<br />ている節穴の目の持ち主と、大同小異ではないでしょうか。<br /><br /><br />　教条主義の教条とは、文部科学省の通知あるいは教育委員会の通達のことですね。<br /><br />　<br />　机上の論理としか言えない官僚の作文を、現場教師が教条主義的に唯々諾々と執り行う、という<br />学校の現状は、まさに学校教育に蔓延する小児病シンドロームだと、表現して良いでしょう。<br /><br /><br />　<a href="http://e-book4u.info/2008/10/9.html">(9) ものの考え方を教えることの重要性</a>...に続く<br /><br /><br />]]>
    </content>
</entry>

<entry>
    <title>学校教育と男女交際(7) 妄想という死の棘（とげ）</title>
    <link rel="alternate" type="text/html" href="http://e-book4u.info/2008/10/7.html" />
    <id>tag:e-book4u.info,2008://1.17</id>

    <published>2008-10-06T02:38:10Z</published>
    <updated>2008-10-12T05:56:40Z</updated>

    <summary> 妄想という死の棘（とげ） 　今回の事件の発端となった女性の度過ぎる嫉妬という問題は、非常に重要な教育的課題の一つで す。実に、いろいろな教育的問題が内在しているからです。 　妄想というのは、単なる誤解ではなく、感情と結びついた自己中心的な...</summary>
    <author>
        <name>Yosinori Kobayashi</name>
        
    </author>
    
        <category term="003 男女・夫婦関係の諸問題" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#category" />
    
    <category term="嫉妬" label="嫉妬" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    <category term="妄想" label="妄想" scheme="http://www.sixapart.com/ns/types#tag" />
    
    <content type="html" xml:lang="ja" xml:base="http://e-book4u.info/">
        <![CDATA[<p> </p><h3>妄想という死の棘（とげ）</h3><br />
　今回の事件の発端となった女性の度過ぎる嫉妬という問題は、非常に重要な教育的課題の一つで<br />
す。実に、いろいろな教育的問題が内在しているからです。

<p>　妄想というのは、単なる誤解ではなく、感情と結びついた自己中心的なものの考え方が、精神病<br />
理的な色彩を帯びたものだと言えるでしょう。</p>

<p>　今回の話を聞いて、思い出したのは作家島尾敏雄の<a href="http://ishibashi.hippy.jp/shohyo/yaginuma.htm">『死の棘』</a>です。<br />
　参考文献：　http://ishibashi.hippy.jp/shohyo/yaginuma.htm　他<br />
</p>]]>
        <![CDATA[<p>　学生時代に『出発はついに訪れず』など、島尾の著作を読んだことがある私は、後年になってそ<br />
の舞台となった奄美大島の加計呂麻島を訪れたことがあります。</p>

<p>　その島尾の代表作である『死の棘』を、私はなかなか読み通す事が出来なかったことを覚えてい<br />
ます。</p>

<p>　息苦しくて救いのない、束縛された出口のない情念の世界を、ヌーボロマンのアラン・ログブリ<br />
エを思わせる無機質な描写（カメラ・アイ）で終始する。</p>

<p>　かなり、イライラしながら読み進んだ事だけが印象に残っているのですが、今回の「痴話げんか」<br />
が、あたかも『死の棘』のひな形としての構造をもっていることが分かり、少なからずも父親とし<br />
て衝撃を受けているのです。</p>

<p><br />
　女生徒は嫉妬から、事実ではない仮想現実に固執して、毎日のように彼を責め立てた。<br />
　気真面目な息子はそのような事実はないと説明し続けたけれども、いくら言っても納得しない。</p>

<p>　女生徒は、彼の軽率な行為が、自分への耐え難い侮辱的行動であるように感じ、許せない。客観的には深刻な問題ではないけれども、感情的に、納得できない部分があるのです。</p>

<p><br />
　女生徒は何に納得しなかったのでしょうか。<br />
　ここには、男性と女性の気持ちはなぜすれ違いを見せるのか、という問題があります。</p>

<p>　プロフの問題そのものは、冷静に考えれば彼女も許せるはずなのです。このバカ野郎と、ひと喧嘩してある程度気が晴れたはずです。</p>

<p>　しかし、彼女としてはこの件にこだわり続けなければならない内的な事情があったのでしょう。<br />
　この件を突破口にして、あるいは（この件を）盾にして、どうしてもやらねばいけないと思い詰めていることがあったはずなのです。</p>

<p>　それは、ほころび始めている（と彼女が感じている）二人の関係の立て直しだったと思います。</p>

<p>　簡単に言ってしまえば、以前のようにはLove &amp; Love ではなくなった、と彼女は感じているということですね。これは結婚した女性ならほとんどが経験する３日、３月（みつき）...３年目、という良くあるパターンです。</p>

<p>　最近テレビで放送していたモラハラ（モラル・ハラスメント）の被害者である女性は「私にだけ親切で優しかった彼が、結婚したら別人のように無口で、不機嫌。しまいには私を無視する態度をとるようになった」と語っているのを聞きました。</p>

<p>　隠しカメラの映像では、帰ってきた夫が不機嫌そうにドアをばたんと閉めたのを、この女性が咎め「小さな子供が驚くから静かに閉めてと、あれほどお願いしているでしょう！」と、口うるさく吠えたてているのです。</p>

<p><br />
　この女性は、男性のものの考え方を理解していないために、誤解に誤解を重ねて、「これをやっちゃいけないよ」という対処の仕方をしていま